――結果として、ビン・ラーディンの目標は潰えましたが、そもそも彼は何を目指して欧米と戦い、どんなゴールを設定していたのでしょうか。あらためてお聞かせください。
池内准教授 ビン・ラーディンの声明は日本語訳も出ているぐらいですから、実際に読んでみれば分かりますが、ビン・ラーディンの主張のかなりの部分は、自分の生まれ育ったサウジアラビアへの批判です。イエメンから移民して、王族と結びついて建設業で財をなしたビン・ラーディン家の末端に生まれ、経済的には裕福に育ったウサーマですが、サウジアラビアの王制への憤りを募らせて行った。きっかけはアフガニスタンでの対ソ連ジハードです。サウジ政府は不満を持つ若者を対ソ連ジハードに駆り立て、いわば厄介払いした。冷戦が終わり、フセイン政権がクウェートを侵略してサウジに迫ると、ビン・ラーディンはジハード戦士たちを集めて国を守る、と提案した。しかしサウジ政府はこれを退け、米軍の助けを借りた。辺境のアフガニスタンどころか、イスラーム教の聖地メッカとメディナがあるアラビア半島に、異教徒を招き入れてしまう。ここでビン・ラーディンはサウジ政府を罵って決別した。サウジ政府はビン・ラーディンの国籍を剥奪してしまう。お金は持っていて知名度もあるビン・ラーディンは、紛争地帯を転々としながら、ヴァーチャルな「イスラーム世界VSユダヤ・十字軍」という世界観に傾斜していきました。
――ビン・ラーディンの死で、米国の政治的、財政的、外交・軍事上の重荷となってきた中東政策に、どのように影響を与えるのでしょうか。
池内准教授 ビン・ラーディンの殺害は、米国の対中東・南アジア政策を根本から変更するための、重要なきっかけ、機会となるでしょう。米国の現状から言えば、外交・軍事戦略上は、アフガニスタンとイラクに大幅に兵力を割くことで、他の地域に展開する余力がなくなってきたところでした。シリアやイランの中東地域での影響力拡大を押しとどめられなくなっていました。3月にはじまったNATO軍の対リビア軍事介入でも、米国は主要な役割を果たさず、フランスと英国に多くを委ねています。米国の庇護の下にあるサウジアラビアなど湾岸産油国の抑えも利かなくなっています。
長期化していた米国のアフガニスタンでの軍事作戦は、元々ビン・ラーディン捕捉・殺害を目的に始まったもので、これで早期に撤退を開始する大義名分ができます。4月28日に発表された、国防長官と中央情報局(CIA)長官の交代人事は、国防費の大幅削減とアフガニスタン戦略の路線変更を示唆するもので、関連は興味深いものです。
オバマ政権にとって、ブッシュ政権から引き継いだアフガニスタンでの軍事作戦は国内政治的にも、外交・軍事戦略上も重荷となっていました。戦闘が長引くほど、財政は逼迫します。年内にアフガニスタンからの出口戦略を実施しなければ、対テロ戦争に手間取っていると批判する保守派と、不必要な戦争を続けていると批判するリベラル派からの板挟みになり、2012年の大統領再選戦略に響くでしょう。
大統領選挙に当選する過程で、ブッシュ共和党との違いを打ち出すため、「イラク戦争=不必要な戦争」「アフガニスタン戦争=正しく必要な戦争」という対比論を打ち出していたオバマ大統領にとって、アフガニスタンで「勝利」することは絶対に必要だったと言えます。
ビン・ラーディン殺害直後、オバマは声明で、「正義がなされた」と宣言しました。これは米国民の感情に訴えかけるものでした。オバマ大統領の再選戦略としては、国民に勝利の高揚感を与え、国軍最高司令官としての決断と実行力を見せつけることが重要だったのでしょう。また、そもそも対テロ戦争に区切りをつけるには、なんらかの「勝利」が必要で、ビン・ラーディンの死というのはその最大の切り札でした。これをオバマは有効に切ったとは言えます。ビン・ラーディン殺害そのものは、どちらかというと国内向けの意味の方が大きいと言ってもいいものです。
これに対して、5月19日の中東政策演説は、いわば「玄人受け」するものであり、中東諸国の政権や国民がどう深読みするかも見越した、国際的なメッセージです。ここでは「ビン・ラーディンの死の前に、すでにアル=カーイダは重要性を失っていた」「われわれがビン・ラーディンの所在を突き止めた時には、アル=カーイダのアジェンダは、この地域の圧倒的多数の目には行き詰りと映っていた」と言うのですから、いわば、政治的にはビン・ラーディンはもう死んでいた、と言ったも同然です。
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