この原稿を書こうとして、書棚から「日本古典文庫」の折口信夫訳『万葉集』上下巻を取り出した。
いつ買ったか憶えていないぐらい黄ばんだ本だ。その時々好きだった歌はページの端を折っていたのですぐにわかる。
私の大好きなこの歌は下巻にあった。
玉川に晒〔さら〕す調布〔てづくり〕、さらさらに、
何〔なに〕ぞ、この児〔こ〕の、ここだかなしき
(巻14-3373)
情熱的なとか、壮大なとか、表現されることの多い万葉集の中にあって、この歌の可憐さはどうだろう。唱和する労働歌ということであるが、白い麻布をまとった古代の少女たちの姿が目に浮かぶような気がする。
心地よいリズム、明るさがいい。タ、マ、ガ、ワとア行の音が続くのが、川面を輝かせる明るい陽光のようだ。乙女たちをからかう男たちの姿が浮かんでくる。
私は故郷が山梨なので、中央本線をそれこそ何百回と往復してきた。いつも楽しい気分で乗っていたわけではない。心に鬱屈したものを抱えて車窓の風景を眺めていたことが何度もある。
それでも東京が近づき、多摩川が見えた時はいつもこの歌を口ずさんでいた。そうすると気分がすこし晴れやかになり、また都会で頑張ろうという思いがわいてきたものだ。
大人になりオペラ好きとなった私は、ワーグナー作「ニーベルングの指環」を見た時、「ラインの黄金」の場面で、やはりこの歌を心の中でつぶやいていた。神話に材をとったこのオペラで、最初に登場するのは川で戯れるラインの娘たちだった。湖や川、そして乙女という組み合わせは、東西を問わず人々の心を昂らせたに違いない。
そしてページをめくっていたら、こんな歌のところも折られていた。
筑波嶺〔つくばね〕のさ百合〔ゆる〕の花の、
夜床〔ゆどこ〕にも愛〔かな〕しけ妹〔いも〕ぞ、昼も愛しけ
(巻20-4369)
これはかなりエロティックな歌であるが、「さ百合」の語感が清浄な響きだ。どちらの歌も若き日の私が大好きだった歌である。
「かなしき」という言葉が二首の歌には使われている。「かなしい」ということは、いとおしいという日本語独特の言いまわしだ。なんという美しさ。こんな風に人を愛し、愛されたいと思っていた頃、私は大きくページの端を折り、何の目印をつくっていたのだろう。
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