2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2018年9月15日

教訓だった9・11の米大統領の行動

 危機におけるリーダーの行動考えるうえで忘れられないのは、2001年9月11日朝に発生した米同時多発テロ事件でのブッシュ大統領(当時)の行動だ。

 大統領はこの日、フロリダ州を遊説中だったが、事件直後、現地で短いコメントを発表し、すぐにエアーフォース・ワン(大統領専用機)で離陸、終日全米上空を飛び続けた。テロ攻撃を避けるためで、ホワイトハウスに戻ったのは午後6時半、ニューヨークの世界貿易センタービルが攻撃されてから10時間が経過していた。この間、国民は自分たちの大統領がどこにいるのか、一切知らされなかった。

 ワシントン郊外の国防総省(ペンタゴン)にも乗っ取られた航空機が突っ込み、ホワイトハウスも標的にされている可能性がある中では、やむをえなかったかもしれないが、逃げ続けたという印象を与えたのは事実だろう。

 ブッシュ大統領自身も、それを気にしていたようで、任期後に出版された回想録「決断のとき」(日本経済新聞社刊)のなかでの、フロリダを離陸直後、「テロリストの脅されて逃げ回るのはまっぴらだ。政府が任務を放棄しているという印象を持たれる。攻撃を受けた首都に大統領がいるのをみれば国民は安心する」と考えワシントンへ戻るよう指示したが、シークレット・サービス(大統領警護隊)が強く反対、しぶしぶ、それに従った、と弁明調で明らかにしている。

 あの日、ブッシュ大統領がペンタゴンが燃えさかるなか、ホワイトハウスで「私はここで戦いの指揮を執っている。団結してテロリストに立ち向かおう」と演説したら、恐怖と不安の極にあった国民をどれほど勇気づけたか。

 余談であり、想像ではあるが、ブッシュ大統領は、このことを「失点」として後々まで悔やみ続けたのではなかったか。そして、それがイラク戦争を決断させる理由の一端になったように筆者には思えてならない。9・11当日の〝名誉挽回〟をはかり、「強い指導者」ぶりを誇示しようと目論んだのではなかろうか。

 筆者がそう考えるのは、米国がイラクを攻撃した理由が当初からやや薄弱だったからだ。

 イラク攻撃は、9.11テロ実行グループのイスラム過激派「アル・カーイダ」とイラクが連携していること、イラクが核など大量破壊兵器を開発しているという二つの理由からだった。しかし、結果はサダム・フセイン政権を倒すことには成功したが、イラクとアル・カーイダとの関係を示す明白な証拠もなく、大量破壊兵器も発見されなかった。

 ブッシュ大統領が失点挽回だけのために戦争を仕掛けたということはありえまいが、利用する意図はあったのではないか。真相は本人しかわからないが、どうであるにせよ、ブッシュ氏の行動、自身がそれを悔やんだことを考えれば、非常事態における指導者の振る舞い方というのは、極めて重要なことだと認識させてくれる。

必要な「強い指導者」のイメージ

 近年の歴史を顧みて、危機の際に水際立った活躍ぶりを見せた政治家が何人かいる。典型的な例として、第2次世界大戦を勝利に導いた当時の英首相、ウィンストン・チャーチル、やはり同じ時期に米国の指導者だったフランクリン・ルーズベルト大統領があげあげられよう。

 必ずしも人から好かれず、平時なら凡庸な首相という烙印を押されかねなかったチャーチルは、「いかなるコストを払っても勝利をめざす」という強い信念に満ちた演説、精力的な前線視察、爆撃直後の市民への激励など徹底的な行動力で、「ウィニー」と親しみを込めたニックネームで呼ばれ、国民と指導者の一体化を実現した。

 ルーズベルトは、今の大統領にも引き継がれている有名な週末のラジオ演説「炉辺談話」を通じ、戦局が有利な時も不利な時も率直、詳細に国民に説明、その奮起と団結力を高めた。
 
 いまの時代の指導者が大戦当時のリーダーの行動をまねる必要はなかろうが、危機における指導者はやはり、それなりの力強いイメージを作り上げることが必要だろう。
  
 災害の際の危機管理に詳しい兵庫県立大学の室崎益輝教授は、非常時に指導者がとるべき行動として、「正しいメッセージを国民に伝えることと、とるべき手段のリスト、つまり、どういう仕事をどんな段取りで、誰を派遣して責任をもたせて行うかということを明確にしなければならない」と指摘する。

 安倍首相の対応はこれに合致していたかどうか。 

  
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