手打ちにこだわり2日かけて作る
とはいえ義二氏のうどんへの情熱はいささかも衰えない。他店が機械化を進めるのを横目に、手打ちにこだわり続けた。捏(こ)ね、足踏み、寝かしを繰り返し、2日かけてできた白玉を延ばして手切りにするのだ。
義二氏には3人の娘がいたが、男児は得られなかった。そこで婿養子を迎え入れ、その實(みのる)氏が3代目店主となった。
實氏は子宝に恵まれなかったので、養女を迎えた。それが敏子さんだ。さらに一廣さんを養子として迎え入れ、2人は結ばれた。一廣さんが言う。
「私は隣の豊橋で生まれ育ち、中学卒業と同時に東京の飲食店に修業に出ました。うどんもラーメンも洋食も経験したんです。ここに入って義二さんに教えてもらってびっくりしました。独特のコシの強さは東京で習ったものと違うし、出汁も全然違います。
大阪、讃岐、水沢(群馬県)などうどんの美味しい地域を訪ねて食べ歩きをしましたが、それぞれ特徴があり、好みも分かれます。私も試しに出汁に昆布を入れたこともありますが、どうも口に合わない。お客さんにも合わないだろうと思い、元に戻しました。以来、麺と出汁は義二さんのやり方を守り、各地でヒントを得た多様な具や盛り付け方を採り入れて、メニューを充実させようと思いました」
大ヒットした新メニュー
釜あげうどんを食べてみた。モッチリとしながらもコシを感じる。硬さについては好みが分かれるだろうが、喉越しの良さは誰もが認めるに違いない。
昭和58年(1983)に店主となった一廣さんは、敏子さんと相談のうえ3年後に店舗を大改装。それを機にうどん専門店としたうえで、新たなメニューを考案した。