訴訟対応や物件売却で衝突
解任求め家裁に申し立て
百沢力の退官を追うように、2008年12月30日未明に事故が起きた。主要不動産物件である東京都豊島区のマンションの一室の天井が突然崩落したのだ。負傷者は出なかったが、住民は正月を前に、危険で住めなくなった上、桐のたんすや和服などを泥水で汚損され使用に耐えなくなったなどとして、09年11月に百沢を相手取り約560万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。
百沢としては、母トシ子の資産に直結する問題であり、財産管理担当の成年後見人である弁護士Mが前面に出て対応するのが当然だと思った。しかしMとしては、被告となったのは百沢であり、自身が後見人を務めるトシ子ではないとして訴訟には関与せず、別の弁護士が代理人となり、10年9月に和解が成立し、百沢が約278万円を払う結末となった。この金は後に、Mが握るトシ子の通帳から受け取ったが、Mの見解が正しいにせよ、訴訟に関わらなかったMに対して、百沢の不満はさらに募った。
和解成立の少し前の10年8月、百沢が奔走して問題のマンションを約1億2000万円で売却、これで百沢家の借金は完済された。なおM は、この年に例年の3倍前後の最高額113万3000円の後見人報酬を得ており、マンション売却がMの手柄と家裁が判断していることの証と見受けられ、百沢は「契約書に押印しただけで百万円」と怒っている。15年12月には、福島県いわき市に保有していた最後の土地も約900万円で売却が成立した。
この2件の取引でも、売却の権限などをめぐって百沢とM が衝突を繰り返した。百沢がトシ子の負債を減らすために物件を売ろうと伝手を頼って奔走するのに対し、Mは財産管理担当の成年後見人を差し置いての取引はあり得ないとして牽制したようだ。双方の争論の詳細に立ち入ることは敢えて控えておく。
百沢力は15年7月、東京家裁立川支部に、弁護士Mの解任を申し立て、A4判5頁に及ぶ手書きの申立理由の中で積年の鬱憤をぶちまけた。
母の財産管理は、もう老人ホームに入所している費用の支払い、他公共料金の支払いのみで、あとは報告資料等の作成のみで、全部、事務員さんがやっていることで、Mは一切何もやっていないのに、後見人の報酬の付与を毎年受け、母の財産からうけていることに納得がいきません――
読み比べると、百沢が01年11月に書いた成年後見人選任への申立書の文章とは一変している。不条理の連続に感情の抑制が利かなくなっているようであり、成年後見人であった筆者は胸が痛むばかりだ。だが、この文面では裁判官を説得できない。