2024年12月2日(月)

立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2018年11月28日

ゴーン植民王国から、日産自動車は見事に独立を果たした。これからの日産は「日本的経営」に戻るとすれば、グローバル競争を勝ち抜くことができるのだろうか。という懸念がある。しかし、私は別の懸念をもっている。

写真:AFP/アフロ

独裁者の降臨と日産の蘇生

 1999年、瀕死寸前の日産にゴーン氏がやってくる。最高執行責任者(COO)に就任した氏は再生計画の「日産リバイバルプラン」を発表する。村山工場など完成車工場3か所の閉鎖や、グループ従業員2万1000人の削減に踏み切り、日本人経営者ではなかなかできないドラスティックな経営改革を断行した。

 そもそも日本人経営者といっても、経営陣という集団をベースとした経営意思決定を行う形態が取られており、激痛を伴う大改革のコンセンサスを形成するには非常に困難である。日産がこのような大改革に踏み切れたのも、まず日産が瀕死状態に陥ったことと、そして日本の常識をもたない外国人であるゴーン氏がやってきたことが大きな原因だったのではないか。

 独裁者の降臨で日産が救われたのだった。逆にいえば、権限が集中していなければ、日産はすでに死んでいたのだと言っても差支えない。ゴーン氏が逮捕された11月19日の日産の記者会見で、西川廣人社長は「あまりにも1人に権限が集中し過ぎていた。長年のゴーン統制の負の側面だ」と語り、カリスマ体制を批判する。

 しかし、19年前の独裁者降臨がなければ、権限集中下の企業統治がなければ、今日の日産ははたしてあるのだろうか。無論その辺は「歴史にもしもはない」と言われたら返す言葉もないだろうが、逆に、世の中いかなる後付け的な美辞麗句や正義論にも同じことが言えるのではないか。

 19年という期間も、日産はほぼゴーン独裁統治下の植民地であったという言い方は少々過激かもしれないが、ある意味で脱日本的な企業統治にアレルギーを起こす社員も少なからずいたのだろう。瀕死の日産がしばらくすると危機から脱出し復活する。徐々に好調に恵まれるようになれば、人間は徐々に欲望が出るものだ。日本社会特有の平等意識は資本主義制度下の真の自由競争と相容れない部分が多く、社員間の格差、上下間の格差、特にゴーン氏という独裁者自身と一般幹部や社員間の格差がどうしても目立ってしまう。

トップと「みんな」の関係

 あらゆる成功は必ず「みんなが頑張ってくれたおかげです」という日本的な低姿勢が求められる日本社会においては、ゴーン氏の異色の存在と振舞いは日産社内のみならず、日本社会全体との非親和性、いやミスマッチが目立ってしまうのだ。「成功したらみんなのおかげ、失敗したら自分のせいなのはなぜですか」、日本企業で働く外国人にこう聞かれたのは一度や二度ではない。

 多くの外国人は、「成功したのも私のお陰であれば、失敗したのも私のせいだ」という「成敗均衡論」をもって仕事をしているわけだから、ゴーン氏ももしやその1人だったかもしれない。すると、日本人的な感覚からすれば、ゴーン氏は社員全員の功績をある意味で横取りし、高額な経営者報酬を独り占め、庶民から見れば雲の上のような王侯貴族同然の贅沢な生活を送っているようにも見えてしまう。

 私が欧米企業勤務時代に見てきた欧米的な感覚はこうである――。「実務レベルでは一般管理職や一般従業員の努力や貢献を否定しない。ただ、他者に取って代われない経営者の不可代替性が成す価値は唯一である」と、つまりはトップの唯一性、希少性に絶対的価値が置かれるのである。したがって、トップと一般従業員の賃金報酬の格差は量的格差よりも、質的格差がより本質的な意味をもつ、こういう認識が持たれていた。

この辺は、日本人の目線との間に本質的な差が存在していることを看過できない。ゴーン氏からすれば、1999年当時瀕死状態に陥った日産を引き受けたとき、再建に成功できるのかそれとも失敗するかがまったく見えなかった。あらゆるリスクを彼が一身に引き受けた以上、当然ながらも果実を享受する身分であり、独裁者の地位にとどまる特権をも手に入れてしかるべきだと認識したのだろう。プライベートジェット機に乗ったり、南米や欧州の高級住宅に滞在したり、豪華なバカンスを楽しんだり、これくらいの特権は当り前ではないかと。


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