その結果導入されたのが、連邦議会を抑制することのできるほどには権限が大きいものの、君主とならないほどにはその権力が制約された大統領制である。議会との関係では、連邦議会が作成した法案に対して拒否権を行使する権限を持つことで連邦議会の暴走を防ぐことが想定される一方で、大統領は立法権を持たず、予算を決定する権限も基本的には議会に委ねられたため(予算は法律として作成されるために議会が決定したのち大統領の承認を経て成立する)、大統領は君主のようにふるまうことは制度的にできなくなった。他方、合衆国憲法で「行政権は大統領に属する」と定められたため、行政部門の中では大統領は圧倒的な権力を持つことになった。閣僚などは大統領の秘書(secretary)と位置づけられたため、例えば国務長官などが行った決定をも大統領は覆す権限を持っている。
このような形で、大統領は立法機構との関係では権限に一定程度制約がかけられたものの、その気になれば実は大きな権力を行使することが可能になる形でアメリカ政治のルールは作成された。例えば、大統領は連邦議会が作成した法案に対して拒否権を行使することで議会の試みを妨げることが可能である。また、行政部門で完結するような事柄、例えば大統領令や行政協定などの形で議会の制約を受けることなく行動する余地が残された。合衆国憲法は短い文章であることもあり、このような形での大統領の権力行使をおさえるためのルールは明文化されておらず、その運用は歴史的な慣行に委ねられることになった。
大統領権限を広げようとしたローズヴェルト
このような大統領による積極的な行動を妨げる制度的な術は多くない。だが、アメリカ政治史上、そのような形で大きな権限を払おうとするような人物が大統領候補になる可能性がそもそも低かった。かつては大統領候補は党の有力者によって実質的に決定されていた。今日では、二大政党の候補となることを志す人物は長い時期をかけて州ごとに行われる予備選挙・党員集会を勝ち抜かねばならない。そのためには、多くの州の有力者の協力を得るとともに、膨大な資金を確保する必要があるため、独断的な行動をとったり他部門に対し敬意に欠ける行動をとったりする可能性の高い人物は、その過程で排除されてきた。
また、歴史上、大統領は自らの権限をできるだけ抑制的に行使しようと努めてきた。初代大統領のワシントン以来、長らく大統領は、拒否権を行使するのは議会の立法内容に憲法上の疑義がある場合に限定するよう努めてきた。また、大統領令の発動も基本的には議会が定めた内容を実施する上で優先順位を定めるなどの目的に即した範囲で行われるのが原則とされていた。例外となる可能性があると危惧されたのはシオドア・ローズヴェルトである。20世紀初頭にローズヴェルトは、憲法上はっきりと禁止されていない限り大統領はいかなる行動をとることも可能であるという「大統領職のスチュワードシップ理論」と呼ばれる考え方を提示していた。大統領権限を広げようとするこの考え方は大きな懸念を抱かせ、共和党主流派はその野心を押し込めるために、ウィリアム・マッキンリー政権の副大統領職(当時閑職とみなされていた)にローズヴェルトを押し込めた。マッキンリーの暗殺に伴いローズヴェルトは大統領になったが、大統領となったローズヴェルトも伝統的なアメリカ政治の前提を覆すことなく自制した行動をとった。