この熱き人々

2019年2月25日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

ガラスという素材との出会い

 

 美術を志していた辻が、現在の確固たる立ち位置を定めるまでには、向かうべき先を求める長い葛藤の道のりがあったという。

 美術と辻との最初の触れ合いは4歳の頃。たまたま近所に金沢美術工芸大学の大学院生が下宿していて、アルバイトに子供たちのお絵描き教室のようなことをしていた。

 「教室といっても、子供たちが集まって、まだ寝ているお兄ちゃんが『お前ら、そこの扇風機でも描いとけ』という感じ」

 教わるというより、気ままに遊びながら描くことを楽しむ。自由で幸せな美術との出会いだった。

 「どこかの時点で水彩画を描くようになって、中学ぐらいから岩絵の具で本格的に日本画を描いてました。先生のお兄ちゃんが日本画専攻だったから」 

 ひたすらピュアに日本画が好きだから美大を目指した。が、受験勉強を始めるにあたって日本画をやめた。そしてなぜか入ったのは金沢美術工芸大学の産業デザイン科で、商業デザインを専攻。

 「素直に日本画科に行けばいいのに、親戚のおじさんが『日本画なんてやっても仕事はないしメシ食えないぞ』って言ってね。じゃどうすればいいのと聞くと『商業デザインだろう』。今振り返れば人の意見を聞いちゃダメだ、流されたらいけないと思うけど、高校生だから、そうなのかって気になっちゃって」

 仕事とメシという要素が入り込んで、本当の気持ちに蓋をしてしまった。その時から、隠されて見えなくなった自分の道をもう一度探すしんどい旅路が始まった。

 「勉強を始めてから、商業デザインってクライアントの意向が先にあるから基本的に自分のための美術じゃない、何か違うなあと」

 しかし、方向転換もままならず、商業デザインの道で生きるなら大好きだったブランドのコム デ ギャルソンを目指そうと自分を納得させて、真面目に勉強。就職は1社に絞って勝負に出たら、あえなく落ちた。コム デ ギャルソンを率いる川久保玲といえば、それまでの常識を打ち破り、ジェンダーの壁を取り払った服を生み出したファッション界の解放者である。そんな川久保に惹かれたことは、現在の辻とすんなり繋がって見える。

 が、当時の辻は、1本の藁(わら)のような救いの道が閉ざされて、何もやりたいことがない五里霧中状態。友人たちは次々と就職先が決まる中、一人だけ足場が液状化して一歩も踏み出せないというのは相当辛い日々だったはずだ。そんな娘を案じる父もまた、どうしたものかと悩む。進学では地元金沢を出ることを許さなかった父が「アメリカに1年くらい行ってきたらどうだ」と提案してきたという。

 一方、辻も先が見えない苦しさの中で、もう一度自分の表現を求めて模索し始めていた。

 「卒業制作でイラストを半立体化した飛び出す絵本のような作品を作ったんです。絵の具ではない素材を探して書店に通っていたら『ステンドグラスマガジン』という雑誌を見つけました。イラストをポスターカラーではなくガラスという素材で描くことに心が動きました。その雑誌に載っていたナルシサス・クアグリアータというサンフランシスコ在住のイタリア人ステンドグラス作家の話の中で弟子を募集していると書いてあったので、ここだ! 応募しよう、と手紙を書きました」

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