この熱き人々

2019年2月25日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

器を通して個の日常にかかわる

 父と娘が奇しくも同じ方向に跳躍し、金沢から飛んだカリフォルニアの碧い空の下で、辻は初めてガラスと出会うことになった。ナルシサスの工房でさまざまな色の板ガラスを見て、素材が表現の武器になると改めて認識。工芸用板ガラスは吹きガラスを伸ばし広げて作る。板ガラスを作るため吹きガラスを習得しようと、カリフォルニア美術工芸大学(現カリフォルニア美術大学)に編入。

 

「そこで、吹きガラスそのもののほうが面白くなったんですね。吹きガラスでは、求める形を作るには温度のコントロールが大事。どこを熱し、どこを一定にして息を入れるかは、数字にできない。微妙な感覚を体で覚えるフィジカルでプリミティブな仕事です。実は私、不器用なんですよ。残念ながら手先に神からのギフトがなかったみたいで。やっと最近うまくなったかな」

 

 不器用だからなかなか思い通りにいかない。でも、作りたいものがその先にあるなら時間がかかってもやるしかない。この頃の辻は、吹きガラスで表現したいものを具現化するアーティスト、美術家としての道を、確かな意志を持って歩き出したようにみえる。

 「ハイアートとクラフトはどうも上下関係にあって、ハイアートは頭、クラフトは手という感じ。デパートでいえば、8階の美術展がハイアートならクラフトは5階の特撰品コーナーみたいな。ガラスはクラフトに入るけど、〝吹きガラスからアートを生み出そう〟というのが当時の合言葉になっていて、上に行きたいという思いがあったと思います」

 自らの表現手段を得てイタリア経由で帰国したのは3年半後。その頃金沢卯辰山(うたつやま)工芸工房という市営の研修所ができることになり、専門員として招かれたのがきっかけだった。

 「金属工房、染め工房、陶芸工房、漆工房という伝統工芸に、ガラス工房も加わることになったから。アメリカ帰りの専門員ってことで、指導だけでなく研修者と講師をつなぐコーディネーターや研修スケジュールの編成など。いろいろできました。仕事が終われば工房で自分の作品も作れるし、ずっと専門員でもいいかとも思いかけたんですけどね」

 研修者に「何をやりたいの?」と問いかければ、それは自分にも降りかかってくる。私は一体何をしたいのか? その頃は、大きなインスタレーションをガラスで作って展示するなど、現代美術家として活躍していた。

 「たとえば大きなガラスのボールをいくつも天井から吊るし、モーターで回してその間を人が通るパフォーマンス。ぶつかりそうでぶつからないボールと、ガラスが割れるからぶつからないように避けて通る人たち。コミュニケーションが欠落している現代をガラスで表現したけれど、それって誰でも感じていることを見せているだけ。次のステップがない」

 そんなモヤモヤを抱えている時、麺好きの自分のためにめんちょこを作った。同じ部屋で同じ麺を食べても、気分に合った好きな器だとどこか気持ちが明るくなるものだ。

 「ものすごくお金と時間をかけてインスタレーションを作っても、100人くらいの人が来てくれるだけ。それなら食器を作って使ってもらって気分転換できるのなら、そっちのほうがずっと大事なんじゃないかと思い始めて」

 アートかクラフトか。居場所はなかなか定まらない。どちらの道を進めばいいのか、自分がどちらを望んでいるのか、決められない。それならどちらかを捨てるのではなく2つを抱えていこうと決めた。頭で1つを選択するのではなく、2つを胎内に取り込んで合体させてしまったわけだ。

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