結局、川島さんは会社を辞めて08年に起業する道を選ぶ。「ミカフェート(Mi Cafeto)」の誕生だった。
ミカフェートではコーヒーを品質によってグレード分けすることから取り組んだ。
「コーヒーはフルーツなんです。同じ農園でも畑の土壌や日照時間で味はまったく違う」と川島さんは言う。
優良農園の中でも最も環境の整った特級畑の完熟豆を、収穫の最盛期に収穫し、厳選する。そうした「最高級」と言えるコーヒーは農園の全収穫量の0・3%にも満たない。
最高級ランクは「グラン クリュ カフェ」と命名した。フランス・ワインの最高級と同じである。
18歳でエルサルバドルへ
川島さんは静岡のコーヒー焙煎卸業を営む家の長男として生まれた。コーヒーの香りと共に育ったと言ってもいい。コーヒー栽培の現場に行きたい一心で、1975年、18歳でエルサルバドルに渡り、国立コーヒー研究所に入った。その後、内戦が勃発、米国に避難していた81年にUCC上島珈琲の上島忠雄会長(当時)にスカウトされる。同社がジャマイカやハワイで取り組んだコーヒー農園の開発に携わった。コーヒー栽培を続けて4~5年たったある日、「コーヒーはフルーツなんだと気付いた」のが、品質でコーヒーを売るというアイデアの原点だった。
川島さんが日本を後にした頃、ワインはまだまだ嗜好品としての地位を確立していなかった。バブル期を越えて、ワインは広く日本社会に浸透。産地やぶどうの品種、収穫年度などで価格が大きく違うのが「当たり前」になった。ところが、コーヒーは逆の道を歩む。街にあったこだわりの喫茶店が地上げされて姿を消し、名ばかりの嗜好品という飲み物になってしまった。水をあけられたワインへの挑戦。それがコーヒーに「グラン クリュ カフェ」というグレードを付けた川島さんの思いだった。
ところが、08年に開業したミカフェートは、試練に直面する。販売を開始した11月1日は、リーマンショックの直後。高額品のみならず消費が一気に冷え込んだ。2年間、貯金を取り崩して耐えたが、その時、父親に言われた言葉が今も忘れられない、という。
「こんなうまいコーヒーは飲んだことがない。ここで生き残れたら本物になれる」