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2019年2月14日

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宮川公男 (みやかわ・ただお)

一橋大学名誉教授、麗澤大学名誉教授、元(財)統計研究会理事長。著者に『基本統計学』(有斐閣)、『政策科学の基礎』(東洋経済新報社)、「統計学でリスクと向き合う」(東洋経済新報社)、「統計学の日本史」(東京大学出版会)など多数。

 『世の中には三種類のウソがある。口に出していうウソ(lies)、知らぬ顔して黙っているウソ(dammed  lies)、そして統計(statistics)である。』

 これは19世紀イギリスの小説家で後に政治家となり宰相も務めたデイスレリの名言です。これにあるように、統計のウソは古今東西を問わず広く見られるものであり、また『統計でウソをつく方法』と題した米国人作家ダレル・ハフの有名な本もあるほどです。

厚労省は組織ぐるみの能因法師か?

 「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」

 この歌は多くの日本人が親しんでいる小倉百人一首69番の能因法師(988年ー1050年?)による有名なものですが、その能因法師によるそれに勝るとも劣らずよく知られたものとして 「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」があります。これは松尾芭蕉よりも先輩の能因法師が、春霞が立つ頃(旧暦1月初旬)に京の都を立って秋が忍び寄る頃(旧暦7月初旬)陸奥国の玄関口白河の関に着いたという修行の旅のついでに詠んだというものでした。

 いま非常に大きな政治問題になり、国会でも論戦が行われている厚生労働省の賃金構造基本統計のための毎月勤労統計調査における不適切処理に関連して私がすぐ想いおこしたのが、この能因法師の和歌でした。

 指摘されている不適切処理にはいろいろありますが、その一つは調査員が企業を訪問して調査票を渡すべきところを郵送にしていたということです。能因法師の和歌は、彼が京の都にありながらこの歌を詠んだことを知られないように、長期間家にこもって日にあたり肌の色を黒く日焼けさせて、みちのくに修行にいった折に詠んだと披露したものとして有名なものです。厚労省と能因法師とはそっくり同じことをしていたと思われるのではないでしょうか。

 しかし、両者では一つ重要な違いがあります。現場に行かずに行ったことにしていたごまかしは同じですが、能因法師の場合には彼個人によるものであり、単に一つのエピソードとして扱われた程度のものですが、厚労省の場合には調査員個人ではなく一つの公的組織によるものであることです。そこには統計調査予算という国費の過剰計上という疑いも含まれており、それだけに厚労省の方が問題は重大であり悪質のものといえます。

 この問題は統計調査や広く実態調査について存在する重要な問題の一つであり、統計(必ずしも統計学と同じではない)の専門家の間では古くからよく知られたものです。訪問調査によって調査対象から聞きとり調査票を作成すべきところを、調査員が自宅や仕事場のデスクなどで適当にもっともらしく作成してしまうことで、労力を省き、また交通費を不正に受け取ってしまうのです。私は統計学の講義でいつもこのような調査員のことを能因法師と呼んでいました。しかし、これは「都をば…」が能因法師一人の嘘であったのと同様に、調査員個人のごまかし、不正行為であり、今回問題になっている一つの組織が全体として能因法師のようになっていたということは私にとっても大きな驚きでした。

 いま問題にされているもう一つは定められている全数調査を行わずに標本調査によっていることですが、これは統計調査の誤差としては標本誤差と呼ばれているもので、能因法師による誤差はそれに対して非標本誤差とも呼ばれています。この標本誤差について必要な補正が行われていなかったことが問題とされていますが、全数調査をすべて良しとするのでなく、良く設計された標本調査による必要もあることは現代統計学のイロハです。その事が十分考えられていないとすれば、これも統計行政の怠慢といわれても仕方がないでしょう。しかしこれらが全体としてアベノミクスの評価とどうつながるかに関しては、得られた統計数字をどのように理解し解釈できるかという難しい問題があります。

(Foryou13/iStock)
 

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