「2島」で進展に感触あった?
日本政府が「2島返還」へと方針を転換したのは、昨年11月のシンガポールでの日露首脳会談。戦争状態の終結、国交正常化と歯舞、色丹2島の日本への「引き渡し」が明記された日ソ共同宣言を平和条約交渉の基礎とすることで合意した。安倍首相はその後、国会などで、この合意は従来の国後、択捉をふくめた4島の返還要求から2島返還への転換であることを事実上認めた。
首相にしてみれば、70年間要求をつづけてきたにもかかわらず、返還をみなかった厳しい状況を考慮、歯舞、色丹返還に国後、択捉での共同経済活動を加味する「2島+アルファ」で決着を急ぐ方が得策という判断だった。
日本の方針転換にもかかわらず、ロシアはかたくなな姿勢を崩そうとしなかった。2019年1月、交渉責任者に指名された河野太郎、ラブロフ両外相がモスクワで会談した際、先方は「北方領土は第2次大戦の結果、ロシア領になったことを日本側が認めない限り交渉は進まない」と、自らの不法占拠をタナにあげ、不当な歴史認識を押しつけてきた。
この直後、安倍首相がモスクワに乗り込んでプーチン大統領と膝詰め談判したものの、事態を大きく打開するには至らず、「戦後70年以上残された問題の解決は容易ではない」ときびしい状況であることを認めざるをえなかった。
翌2月、ドイツ・ミュンヘンで行われた外相会談の際も、河野外相は「戦後70年かけてやってきていることであり、一朝一夕に解決することではない」とやはり早期解決は困難との見通しを示した。
シンガポールでの首脳会談の際、首相が「次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ず終止符を打つ」と大見得を切ったのに比べると大きな違いだ。