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2019年4月11日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

タクシン派が繰り出した「究極のポピュリズム」

 国家維持党は総選挙が近づいた2月初旬、現国王の姉に当たるウボンラット王女を同党首相候補に擁立し一気に攻勢に出た。タイでは各政党が首相候補を擁立して総選挙に臨み、候補者個人ではなく政党を選ぶ。首相公選制のような仕組みでもあるが、首相は必ずしも下院議員である必要はないから、著名人を担ぎ出せば選挙戦を有利に展開することができる。究極のポピュリズムといえるだろう。

 すでに王室を離れているうえに社交界の花形として全国に知られた同王女である。彼女を擁立することで選挙活動に弾みを付けようとしたはずだ。だが王女擁立が表明された当日深夜、「王族の政治参加は不可」との国王声明が伝えられ、国家維持党の狙いは脆くも外れた。3月に入るや、「国王を元首とする民主制度」を制度面で監視する憲法裁判所が、王女擁立が憲法に抵触することを理由に国家維持党に対し解党を、同党幹部に対しては10年間の政治活動禁止を命じた。かくてタクシン派はタイ貢献党による“片肺飛行”のまま選挙戦に臨まざるを得なかったのである。

 なお、ここで2005年2月の総選挙以降、憲法裁判所が議会内外でタクシン派を押さえる方向に働いてきたことを記しておきたい。

日本人が知っておくべき“微笑みの国”の素顔

 5月4日の戴冠式当日を挟んだ数日間、タイは国を挙げての祝賀ムードに包まれる。であればこそ当面は政治休戦となり、5月9日の総選挙結果公式発表を待って連立政権を巡る政界再編劇が本格化するだろう。その際、連立の軸は上院の250議席に加え下院118議席を擁する国家国民の力党を背景にしたプラユット暫定首相にあることは間違いない。

 だがタクシン派の存在――小選挙区で137議席を持ち、東北部を拠点に一定の支持層を維持するタイ貢献党――を無視するわけにはいかない。すでに「タクシン」は元首相個人を指すというより、ABCM複合体に対して「ノー」の意を示す政治的記号となったのではないか。

 3月30日、タイ政府は官報でタクシン元首相による一連の振る舞いを「悪劣」と見做し、現国王は前国王が同元首相に与えた一切の勲章を29日付けで剥奪したことを明らかにした。4月7日には首相退任以降も許されていた「国土防衛志願者軍団大団長」の称号の使用が禁止されたことで、王室とタクシン元首相の関係は絶たれたことになる。

 じつは国王戴冠式を司る最高責任者の立場に在るシリントーン王女は4月3日から10日まで訪中し、北京、上海、江西、福建、香港、マカオを回った。4日には王毅国務委員兼外交部長と会談している。なお、同王女の訪中は今回で48回目。おそらく同王女以上に訪中回数を重ねている外国要人はいないだろう。それほどまでに同王女と中国の関係は深い。

――以上、タイが国是とする「国王を元首とする民主制度」に則って、政治面から“この国のかたち”を考えてみた。

 日本の外交、経済にとってタイが東南アジアにおける重要なカウンター・パートであることは明らかだ。いま「微笑みの国」は新しい「国王を元首とする民主制度」の許で変貌を遂げようとしている。であればこそ「軍政延長か、民主化か」といった類のステレオタイプの視点を捨て、タイの政治文化の変化を読み取ることが、いまこそ求められているのではないか。

  
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