タイのプミポン・アドゥンヤデート国王が10月13日午後3時52分に崩御し、すでに約2週間が経過した。在位70年は現在の国家元首としては最長で、その国内での絶大的な人気は世界中に広く知られている。2014年10月からバンコク都内シリラート病院での入退院を繰り返し、今年2月から肝臓を悪化、88歳で逝去された。
70年という長きに渡り、国民からの支持を一身に集める“国父”だったが、その理由は日本でのイメージと、タイでは少し違っているようだ。日本人が国王に抱くイメージといえば、「どんなデモや政変が起きても最後は解決してくれる存在」だが、タイ人に聞くと、国王のイメージとはいわば“聖人君子”。政治家の側面ではなく、常に国民と向き合い、親身になって相談に乗ってくれるような父親のような存在。ちなみにこの国で“父の日”とは、国王の誕生日を指し、盛大に祝われる重要な日の一つ。国王のお祝いと“ついでに”実父も敬うという、日本とは異なった意味合いを持っている。
国王はどんな僻地にも自ら赴き、現地住民から直接話を聞いて、あらゆる問題を解決していった。映像や写真では、高齢になられてもキヤノン製のカメラを首からぶら下げ、顔中汗びっしょりで、住民と話す様子が収められ、そういった写真が国王の市民を想う象徴として街の至る所に飾られている。
商業施設エムクオーティエに飾られる国王の写真
国王として初めて特許を取得、成長したロイヤルプロジェクト
素晴らしいのは、ただ話を聞くだけではなく、実際に解決するその類まれなる行動力。特にタイの重要産業の農業において、今も多くの農家が恩恵を受けており、1989年に「チャイパタナ水車」を開発したのは有名な話。これはタービンを回し酸素を取り込むことにより、水質を改善する機械であり、1993年2月2日には、国家元首として初めて特許が認められ、現在その日は「発明の日」とされている。2009年には、国王が開発した人工降雨技術がフランスなど欧州10カ国で特許を取得。深刻な干ばつ被害が予測されるときには、タイ9県に「人口降雨センター」を設立するように指示するなど、常に国民を思いやり、必死で問題解決に努めた。
また、国王が唱えた“農業新説”があり、これは土地を4つに分け、その3割を水源と魚を飼育する池、3割を水田、3割を園芸や果物農園、1割を住居や家畜飼育や道路用地に充てるという理論。そうすることで作物の余剰分の販売が可能になれば、小さなマーケットが生まれ、さらに利益をもたらす銀行やサービスも増え、産業の高度化、潤いのある生活に直結するという長期的な展望を発案した。また、タイ人のなかではあまりにも有名な「充足経済( Sufficiency Economy )」を唱え、いわば“足るを知る”ことの重要性を説き、利他的行動を推し進めた。
国王が始めたロイヤルプロジェクトも農民の暮らしに大きな影響を与えた。かつてタイ北部は世界最大のアヘンの栽培地域と言われたが、国王は米やとうもろこしなどの農作物を持参し、山岳民族を説得。アヘン栽培を止めさせ、ロイヤルプロジェクトとして認可し、今ではオーガニック野菜やコーヒー、有名なのは果物の「DOI KHAM」というブランドはタイ全土で販売されている。また、食料品だけではなく、バッグやアパレルといったものもロイヤルプロジェクトに認められ、王室認可製品ということでお土産としても好まれるようになった。