2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2019年5月28日

マンデラの「意中の人物」

 1990年、27年に及ぶ獄中生活に別れを告げ「シャバ」に復帰したネルソン・マンデラ氏が、まず成し遂げなければならなかったのはアパルトヘイトの撤廃と民主的選挙の実施だった。それはとりもなおさず人口の8割を占める黒人の手に政権を取り戻すことを意味する。

 それまで、白人政権は、いくら過激な闘争を仕掛けられても、1948年以来続くアパルトヘイトを決して廃止しようとはしなかった。数えきれない被害者を生んだアパルトヘイトを撤廃させなければならない、政権を黒人の手に奪い返さなければならない。マンデラ氏はそれを交渉により成し遂げようとした。傍らにいたのがラマポーザ氏だ。ラマポーザ氏は法律を学んだ「交渉の腕利き」だった。何日にもわたる白人側との手に汗握る交渉が続いた。

 一番のポイントは、黒人が政権を握っても白人がこの国から追われることはない、との約束だった。普通、政権を追われれば後はみじめな追放が待つだけだ。マンデラ氏はそれをしないという。あのアパルトヘイト闘争で、自らに対しても、また同志に対しても、むごい仕打ちを加え続けた白人政権に復讐をしないという。白人はこの国に止まってもらいたい、共に、明日の南アフリカを創ろうではないか、輝ける「虹の国」を、とマンデラ氏は何度も繰り返し言った。ラマポーザ氏がその法律面を説明した。そうやって、ようやくの思いで妥結にこぎつけた。

 1994年、南アフリカで初の総選挙が実施され政権は黒人の手にわたる。マンデラ氏が初代大統領に就任した。マンデラ氏は自分の後はラマポーザ氏しかいないと考えた。ラマポーザ氏はマンデラ氏の「意中の人」だった。

 ところがこの時を機にラマポーザ氏は政界を去る。代わって副大統領の座に就いたのが後の第二代大統領ターボ・ムベキ氏だ。表に現れない壮絶な権力闘争があったと言われる。

 結局、ラマポーザ氏は実業界に転身した。才気溢れるラマポーザ氏はどこに行っても頭角を現す。時あたかも、南アフリカ政府は「虐げられた黒人」を優遇するアファーマティブ・アクションを実施する。黒人の所得を引上げるため、政府資産を有利な条件で払い下げる等の措置だ。ラマポーザ氏はその恩恵を誰よりも受けた。短期間のうちに巨万の富を築き、その額4億5千万ドルに上ったという。そうやって、マンデラ氏の「意中の人」ラマポーザ氏は、惜しまれながらも政界でその名が忘れられた存在になっていく。

 ところが、2012年、突如として同氏が政界に復帰する。ANCが同氏を副党首に迎えたのだ。2014年、ラマポーザ副党首は副大統領に就任する。汚職にまみれ経済が低迷を続ける南アフリカの舵取りを行うズマ政権のナンバーツーだ。その任期は4年にわたった。

 ラマポーザ氏に批判的な人は、政権幹部の座にありながら何もしなかった、ズマ氏と共同責任だ、という。だが仮にそうだとして、今の南アフリカで、他に誰が国の舵取りを担えるのか。難事を託せるのはあの困難な交渉を切り盛りしたラマポーザ氏しかいない。だから、国民は今回の選挙でもう一度、ラマポーザ氏にやらせてみようと思ったのだ。


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