2024年12月23日(月)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2019年6月19日

写真:AP/アフロ

 毎年、5月末から6月中旬にかけ、天安門事件に関する報道が、我が国のメディアにも溢れる。

 今年は事件から30年目の節目の年であり、習近平政権下で悪化する一方の人権状況に対し内外から強い懸念が表明され、米中間の厳しい対立はエスカレートするばかり。加えるに香港では、身柄を拘束された容疑者の中国本土引き渡しが可能となる「逃亡犯条例」の改定に反対する大規模な街頭デモが連日繰り返されている――であればこそ、1978年末の対外開放以後の中国で悪化する人権状況の“原点”ともいえる天安門事件関連報道が、例年にも増してメディアを賑わせるのも当然だろう。

30年前、天安門事件をNHKはどう報じたか

 だが30年前の天安門事件であれ、現在進行形で繰り広げられている香港の動きであれ、我が国のメディアが激変する事態を“情緒的”に報道するほどに、問題の本質から外れてしまうように思えて仕方がない。

 たとえば天安門事件をリアルタイムで伝える30年前のNHKテレビの特報・特集番組(DVD録画)を見直してみると、特派員や専門家が熱っぽく語っていた「民主化運動は正義の戦いだから成功するはず」「『最高指導者』の鄧小平に率いられた保守勢力は後退し、趙紫陽を戴く改革派の政権が生まれるだろう」といった見通しは、現在に至る30年間における権力の一強化と経済の肥大化とによって打ち砕かれてしまった。

 やはり経済発展は民主化を促すという見通しが甘すぎたのは当然としても、“願望というフィルター”を通して複雑な現実を紐解こうとする試み自体が、どだい無理な話ではなかろうか。


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