日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年6月20日

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早川友久 (はやかわ・ともひさ)

李登輝 元台湾総統 秘書

1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

32歳の若さで亡くなった李登輝の長男

 最後に、李登輝夫妻の最愛の息子、李憲文についても触れておかなければならないだろう。憲文はきょうだいの一番上であり、唯一の息子だった。長じた二人の妹たちがあまり日本語を解さないのに対し、憲文はかなり日本語を身につけていたようだ。文化大学を卒業し、新聞記者となった傍ら、日本への旅行で見つけた『権力複合態の理論 : 少数者支配と多数者支配』の中国語版を翻訳出版している。

 憲文は同級生と結婚した3年後、1982年にガンで32歳の若さで亡くなっている。一人娘の坤儀はまだ7ヶ月だった。当時、省主席だった李登輝は、息子の亡骸をストレッチャーに乗せると「冷たいだろうから」と、自ら抱いて運んだという。

 息子が闘病生活を送っていたものの、父李登輝は省主席としての任務も全うしなければならない。特に、答弁では何人もの省議員から突き上げを喰らう激務であった。後年、週刊誌の報道で「当時、少しでも息子のそばにいてやりたい李登輝に対し、一部の議員が嫌がらせのためにいつまでも質問をやめないことがあった」とも報じられた。このことについても李登輝は「もう終わったことだ」と答えなかったという。

 そばにいる私たちでも、李登輝夫妻に亡き息子のことを尋ねるのは憚られる。ときおり、李登輝自ら、来客に対して「鼻腔ガンだった。今だったら完治させられるだろうけど、当時の医学では太刀打ちできなかった」などと話すのみだ。

連載:日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

早川友久(李登輝 元台湾総統 秘書)
1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

  
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