昨年12月17日、北朝鮮の最高指導者・金正日総書記が逝去した。朝鮮中央テレビが2日後の19日正午、「特別放送」で発表してから、北朝鮮情勢は内外で大きく取り沙汰されている。謎めいた後継者の金正恩なる人物、その政権の構成・特徴、そして行方など、今にいたるまで、関連の記事や発言は絶えない。ただヘソ曲がりな歴史屋は、そんな過熱ぶりにあえて少し水を差してみたいと思う。
中国が示した手厚い弔意 その意図は?
北朝鮮が金正日の死を対外的に発表したその日、中国は共産党中央委員会・全国人民代表大会常務委員会・国務院・中央軍事委員会の連名で、800字を超える長文の弔電を送った。南隣の韓国、あるいは日本やアメリカが、公式には弔意を示さなかったのに比べると、きわだった対応である。
12月21日、このことを報道した香港のマスコミが、中国が手厚い弔意を示した意図は、国際社会に対し「北朝鮮の現状を変えようとするな」との警告を与えるためだった、という論評を伝えたのは、注目に値する。これはすなわち、中国から見た北朝鮮の位置づけ、あるいは朝鮮半島のありようとして、「現状」がひとまず最も好ましい、という事情を物語っており、こうした「現状」維持への志向が、まず第一の論点となる。
第二に、その翌日の22日、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙・労働新聞は1面に長文の社説を掲載し、「主体革命と先軍革命」を堅持せよ、という金正日の遺訓を守るようよびかけた事実に着眼したい。「主体革命」にせよ「先軍革命」にせよ、他国に類をみない北朝鮮独自の内政外交形態であり、かつて他国の干渉をゆるしたことのないものである。経済的にいかに困窮し、中国にどれだけ依存しようと、そこは自主を貫いてきたし、今後もその志向は揺るぎそうもない。
朝鮮半島の「現状維持」は19世紀来のコンセンサス
このようにみてくると、筆者は端なくも、19世紀末の歴史を想起してしまう。その当時も、周辺国は例外なく朝鮮半島の「現状」維持を望んでいたし、また朝鮮半島のありようも、内政外交は「自主」でありながら、「属国」としてとりわけ中国に依存する存在だったからである。
もとより、150年近くも前と現状を混同しても始まらない。しかしこのように類似する表層があることは、深層にも共通する部分があるのではなかろうか。いまの情勢を考えるにも、歴史をふりかえってみてはどうかと思うゆえんである。
そもそも北朝鮮という国家が存在するのは、朝鮮半島分断、およびその固定化の産物である。では、その分断固定はといえば、いうまでもなく1950年にはじまった朝鮮戦争の結果である。朝鮮戦争はめまぐるしい局面の変化をたどったけれども、最終的には人民義勇軍という名の中国軍と国連軍を名のる米軍との戦いになった。しかもその米軍は日本を足溜りにしたのだから、地政学的にバッサリ整理してしまえば、これは朝鮮半島をめぐる日本と中国の戦争といってもよい。