2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年2月2日

平壌の帰趨が日中間の焦点だった

 その観点からみなおすと、そんな日中の戦争は、史上いくつも起こってきた。大きなもので2回、ひとつは16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵、いまひとつは19世紀末の日清戦争である。いずれも朝鮮半島を戦場とし、日中いずれがそこを制するかを争った。

 そしていずれもターニングポイントになっているのは、平壌の帰趨である。ここが敵の手に落ちると、中国の危機感が高まるという構図である。秀吉の朝鮮出兵と朝鮮戦争では、平壌の陥落から中国軍が介入して、北上軍をおしもどし、日清戦争では、中国軍がここで敗れて、朝鮮半島を失ったばかりか、北京までも脅かされた。つまり今も昔も、平壌以北が敵対勢力と化すのは、中国は地政学的に堪えられないのである。

大陸勢力VS海洋勢力の時代へ

 秀吉の朝鮮出兵をどう評価するかは難しい。しかし善悪はさておき、こうした戦争を起こすことができたのは、日本の軍事力・経済力・政治力が飛躍的に向上したからである、とはまちがいなくいえよう。それまでになかった勢力が、16世紀末には、朝鮮半島の南方・海洋から台頭してきたのであり、この勢力は以後、いまにいたるまで、消長はあっても衰滅していない。

 それに対して、北方・大陸から半島への圧力は、紀元前の昔からにさかのぼる。古来の既成勢力だといってよい。漢の楽浪郡設置・隋唐の高句麗征伐・白村江の戦い・モンゴル帝国の侵略・清朝の侵攻などなど、教科書的な知識であげるだけでも、思い半ばに過ぎるものがあろう。こちらもやはり現在にいたるまで、衰微のきざしはない。

 したがって朝鮮半島のパワー・バランスは、16世紀以前は大陸側勢力が一方通行的に圧力をかける、いわば一元構造だったのに対し、17世紀以降は、それに新興の海洋側勢力が加わる二元構造で成り立つようになった。この二元的な勢力をいかに噛み合わせて、破綻と衝突を来さないようにするのか。これが以後の歴史的な課題だったわけである。そして、南北の勢力が衝突するたび、戦争の危機に陥り、実際に大きな戦争も起こって、多くの血が流されてきた。朝鮮戦争はいまのところ、その掉尾を飾る歴史事実だといえようか。

「属国」「自主」の19世紀 半島分断の20世紀

 その経過も19世紀までと20世紀以後、具体的には日清戦争・下関条約・三国干渉を境にして、2つに大別できる。

 19世紀以前は、朝鮮は清朝中国の「属国」であり、しかも内政外交は「自主」だという地位にあった。その地位に対し、関係国がいわば相互にくいちがった解釈を与え、それぞれが満足するという形で事態が推移する。やや乱暴にいえば、各々の誤解をくみあわせることによって、二元勢力の鋭鋒をたがいにすれ違わせて、衝突を回避した。

 20世紀になると、どの国もひとしく国際法を理解し、前提とするようになったから、従来のように、誤解のくみあわせ、すれ違いで衝突をかわすことができない。二元勢力の衝突を避けるには、どうしてもどこかで勢力を分かつ境界線を引く必要がある。事実、清朝に代わって中国東北を掌握したロシアと日本は、日露戦争以前の1896年に、朝鮮半島の北緯38度線以北をロシア、以南を日本が占領する交渉をしたことがあるし、日露戦争後1907年の日露協約では、その勢力境界線はずっと北上し、中国東北を南北で分割した。それから満洲事変、日本の敗戦を経て、朝鮮戦争の結末としての半島分断。現状はそうした歴史の継続だとみなすこともできる。

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 そうした過程からして、現在の北朝鮮の位置は、史上の中国が一貫してめざしてきた存在だといえる。中国も必ずしも自ら望んで、朝鮮半島に手を出してきたわけではない。平壌以北をおさえておかねば、中国も危険だからであって、しばしば苦杯も嘗めてきた。いかに手を汚さずに、その目的を達成するか、そこがもっとも意を払うところなのであって、平壌の政権がいかなる内実なのかは、さしあたり問題ではない。


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