モバイルパソコンの新標準を提案する「VAIO SX12」「VAIO Pro PJ」
5周年パーティーの席上で発表されたのが、常時携帯、どこでも仕事をしなければならないモバイルワーク パソコン「VAIO SX12(一般向け)」「VAIO Pro PJ(法人向け)」です。
持ち歩けるパソコンとしてノートブック型が出始めた1990年代後半、ソニーが当分野参入に当たり、ノートブックの標準を目指し提案したのが、13.3インチモニターを持つSONY VAIO Type S(2004年6月発売)。以降、このサイズがノートブックの標準として用いられます。
しかし、ノートブックはいろいろな所へ持ち歩かれるようになります。そこで伸してきたのが、パナソニック。売りは「タフネス」です。
そして、現在。「常時携帯」が当たり前の時代、HDDからSDDへメモリドライブがなったこともあり、タフネスは当然と言えます。で、今回、もう一度、「常時携帯」と「性能」を見直し、12インチディスプレイモデルを標準モデルとして提案したわけです。
タッチコーナーで触らせてもらいました。キーボードが19mmのフルピッチなので、インプットは早くできます。12インチディスプレイはOKギリギリの大きさでしょうか。ビジュアルより、レポート向き。レポートを書く分には、13インチ以上よりむしろ集中できる感じがしました。
しかし、12インチ狭額縁。これはよくある手ですが、余裕がこれっぽっちもないキーボードの収まり、そして端子をハリネズミのようにフル装備。加え大容量バッテリー。本当にスゴいパッケージ。全力投球感が半端ないです。
確かにVAIOが一心に5年間磨き上げた技術の集大成モデルといえます。VAIOの商品はイイのですが、余り余裕がある感じ、ノビシロはあまり見えて来ません。ソニー時代のVAIOは、C1のような、遊び心溢れるモデル、別の言い方をすると、使い道をユーザーが探すようなモデルも作っていました。
そこで、 VAIOのパソコンの責任者に聞いてみました。「C1のようなモデルを作らないのですか?」答えは、「まだ、そんな余裕はありません。」でした。しかし、ニコリとして付け加えました。「早く、そんな時期が来れば嬉しいです。」ちなみに答えてくれた人は、C1を手がけた人で、VAIOは人を手放さなかったと言うことも分かりました。イイ商品を作るのに、いいプランナーは欠かせません。
信じてくれる人と、VAIO
製品のことを語って来ましたが、その製品を支えるのは「人」です。かの戦国の名将 武田信玄は、「人は城、人は石垣、人は堀」と言い、生涯城を持ちませんでした。そして、今のVAIOのキャッチフレーズは「信じてくれる人と、」です。
今の世はかなりおかしくなっています。収支が悪くなったら、すぐにリストラ。技術がなければM&A。正にマネーゲーム。ソニーは2000年の中央研究所解体に当たり、基礎技術研究者に話したのは、技術は金で買えると言うことでした。資本主義の世とは言え、心折れますよね。そしてVAIOも同様に、無理矢理独立させられた形です。
安曇野工場はあるとは言え、あれば従業員を養えるわけではありません。また、今の地方都市は、新しい雇用先が沢山あるわけではありません。悪い方に考えると、何もできなくなる位の状況から、スタートしたのがVAIOです。その時のキャッチフレーズは「自由だ。変えよう。 」。
それを乗り切った背景には、それぞれの人が助け合い、信頼を高めていったことがあります。
今、日本を入れ18の国で扱われているVAIOですが、VAIOが独立した当時は、世界の大市場、アメリカ、中国ですら、販売できない状況でした。まず、営業チームを作り、日本の業務用ルートを固める必要があったからです。
しかし、グローバルブランドのソニーのVAIOのコンピューターは、多くの海外の人に取っては、憧れのブランドのパソコンでした。このため中国からも、VAIOを扱いたいという話が来たと言います。
VAIOは、その人を日本に招き、半年以上掛けて、丁寧に自分たちを見てもらったそうです。VAIOの考えを理解したその人は、新しい会社を興し、中国でVAIOを扱っているそうです。
このように、ブランドは、人を呼んでくれますが、ブランドを潰すのも人です。液晶テレビであれだけのパワーを持っていたシャープが、中国でブランドイメージが薄いのは、液晶テレビを安売りをし過ぎたからだと言います。
ブランドを確立する、維持するのはとても大変です。もしブランドのためにできることがあるとしたら、愚直に、丁寧に、同じことを何度も何度も繰り返すことです。それは「損して得取れ」と同じで、辛い道でもあります。その辛い時期を乗り切るのは「人」です。そして、それは相互理解による「信頼」です。
その中国の方が、何を見て、どう感じたのかは分かりません。が、VAIOが品質維持のために掲げている「安曇野FINISH」などを、肌で感じたのだと思います。VAIOとなら、という思いが新会社の設立です。どん底から這い上がってきたVAIOが得たのが「信じてくれる人と」ということです。