2024年5月1日(水)

経済の常識 VS 政策の非常識

2012年3月12日

 大関になるために直近3場所で33勝以上が必要とよく言われるが(実際にはこの規定は厳密に適用される訳ではない。本年1月場所で大関に昇進した稀勢の里は32勝だった)、「くんろく大関」という言葉もある。

 一度、大関になれば9勝6敗でも大関から落ちることはない。極端な場合、1場所負け越しても次の場所に勝ち越せば大関の地位を失わなくてもすむから、直近3場所で8勝37敗の大関もありうる。新自由主義の経済学者は、むしろ、1場所でも負け越せば大関の地位から落ちるとすれば良いとする。

 そうすると、多くの大関がその座を失ってしまう。興行上、大関がいない訳にはいかないから、大関になるための関門を低くするしかない。すると、より多くの力士が大関になれる。

 大関を正規社員と考えれば、より多くの人が正規社員になれるようにするためには、正規社員の雇用保護規制を弱めれば良いというのが答えになる。

 大関の地位を落ちても関取であるには変わりないのに、正規社員は社員の地位も失ってしまうのだから、比喩としてもおかしいという方もいるかもしれない。しかし、ある地位を不安定にすることによって、むしろその地位に就く人の数を増やすことができるという論理は同じである。

 ただし、正規社員の雇用保護規制を弱めれば正規社員が増えるというのは正しい答えとしても、この政策提案に賛成する人はあまりいないだろう。

 政府が、非正規ではなく正規をというのは、雇用が不安定では生活の安定が得られないからだ。しかし、最終的に必要なのは雇用の安定ではなくて、生活の安定である。それを雇用の安定を通して行おうということに無理があるのではないか。

 企業は利益を追求する組織であり、その組織に国民生活の安定を担わせるのは無理がある。むしろ、政府が大関の所得に課税して、その税収で、すべての国民の生活の安定を担うしかないのではないか。

 もうひとつの方法は、金融緩和で雇用を作ることだ。リーマンショック後、円は6割も上昇した。円が1ドル120円のままだったら、日本の製造業はかなり競争力を保てたのではないだろうか。競争力を保てたとは、雇用も維持できたということである。


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