2024年11月22日(金)

中東を読み解く

2019年10月7日

将軍更迭にイランの影

 注目したいのは、デモが対テロ部隊副司令官の「アブドルワハブ・サーディ将軍の更迭に触発された」(米紙)と思われる点だ。将軍は9月、突然副司令官の地位を追われ、国防省への異動が発令された。将軍はISとのテロとの戦いを指揮し、イラクをISから解放するのに大きな役割を果たした英雄だ。

 将軍は腐敗した軍指導部の中では、清廉な人物として名高く、その意味でも更迭は国民に衝撃を与えるものとなった。将軍自身も「侮辱だ」と今回の人事に不満を漏らしている。デモ隊の一部が将軍の肖像写真を掲げていたことからも分かるように、国民にとっては将軍が“反腐敗”のシンボル的な存在だった。

 将軍はなぜ更迭されなければならなかったのか。米紙や中東専門誌などによると、将軍が指揮する対テロ部隊は、これまたISと最前線で戦ってきた「人民動員軍」(PMF)とライバル関係にあるが、更迭は将軍がPMFの軍門に下ることを拒否したためだったようだ。

 PMFはイラクの50に上る民兵組織を傘下に収め、戦闘員15万人という強大な軍事組織だ。ところが、一部はイランから支援を受け、その影響下にある。ISを一掃した後、PMFは全土に影響力を拡大、新兵の徴募事務所を随所に開設、また独自の検問所を各地に設置して、石油輸送トラックなどから通行税を徴収するなど「国家の中の国家」を作ろうとしていると批判されている。

 PMFはIS壊滅という役割を終えたことから、今年7月までにイラク国軍に統合されることになっていたが、それもPMFの抵抗で延期されたままだ。そうしたPMFの勢力増大の障壁になっていたのが対テロ部隊であり、サーディ将軍だった。目の上のコブだった将軍に消えてもらう必要があったわけだ。

 「更迭はイランの思惑が反映された人事だろう。デモはイラン支配に反発する若者が清廉なサーディ将軍の更迭にショックを受け、それが引き金の1つになった」(ベイルート筋)。今回のイラクの騒乱は米国とイランの対決で緊張するペルシャ湾の新たな火ダネになったことは間違いない。

  
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