2022年12月2日(金)

この熱き人々

2019年12月25日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 中学生といえども折り紙歴はすでに10年である。こう折ればこういう形になるというパターンが有澤の頭の中には蓄積され、それをうまく組み合わせながら求める形を折り上げていく。うまくいったら一度開いて、折り目から展開図を描く。中学校1年でギラファノコギリクワガタを完成させた有澤は、自分はもしかしたら天才かもと思ったというが、その後、なかなか新しい作品が作れない時期もあったようだ。

 「挫折すると悔しくて、こう折るとこういう構造になるということをもっと知りたくて設計理論を勉強したりしてました。折り紙の設計の本はないので、ネット上の折り紙創作の交流サイトを探して情報を得たり。東京には創作作家の集まりもあって勉強できるけど、北海道ではそういう機会もなくて、ひとりで寂しくやってました」

和紙の魅力に目覚める

 そんな有澤は、複雑な作品を完成させるには紙がいかに大事かということに気づき始めていた。普通の紙では、折ったり開いたりを何度も繰り返すと破れたりクタクタになったりする。薄さと丈夫さを求めて札幌中の文房具店を探し回った。そして中学校2年で手漉きの紙の専門店を見つけた。

 「世界中の手で漉かれた紙を扱っていて、こんな紙があったんだって感激しました。もう紙コレクターと化して部屋中紙だらけになったけど、自分の折りたいものにとって100パーセント理想かというとそうでもなくて、段々と求める紙のクオリティーが高くなっていくんですね。もっと薄くとかもうちょっと腰があるのがほしいとか」

 そうなると、もう自分で自分の求める紙を漉くしかない。紙作りからやってみたいという気持ちが強くなっていったのが高校時代。かくして紙を漉く職人になるという卒業後の目標が定まったというわけだ。

 

 高校3年の時に、滋賀や高知など10カ所の和紙工房を見学して回ったという。その中で、この工房で仕事をしたいと決めたのは、代表の澤木の考えに共鳴したから。

 「手漉き和紙を生業(なりわい)として食べていくのが難しいという現実を話してくれて、それでも紙で生計を立て手仕事の価値を自ら守るという将来を見据えて仕事と向き合っている。ここしかないと思い、働かせてほしいと手紙を書きました。折り紙の作品を褒めてくれて、ちょうど工房で紙を使って鶴や紙風船のジュエリーを作り始めた頃で、僕の折り紙の技を使って作品を商品化できるかもしれないとも言ってくれました」

 師匠の澤木が10年構想を巡らせていた、工房の畑で無農薬で栽培した原料で漉いた和紙のコーヒーフィルター「立花(たちばな)」は、化学的に作られたものとはひと味もふた味も違う、コーヒー本来のおいしさが楽しめると評判になっている。極薄の紙を使った花びらのような折り方は有澤が考えたもの。

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