2023年1月28日(土)

明治の反知性主義が見た中国

2019年12月7日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

日本人商人は「薄資にして忍耐に乏しきもの」

 だが、なにせ日本人商人は「薄資にして忍耐に乏しきもの」であり、「三年の久しき豈泰然自若として」営々と日を送ることができない。「大抵一ヶ年若くは二ヶ年にして『アー支那ハ駄目ダ』との嘆声を発し、店を閉づるに至る」。つまり踏ん張りが足りない、ということだろう。淡泊というのか。執念が足りないのか。諦めが早いのか。

 かくて阿川は、「嗚呼忍耐なる二字は、是れ商家の骨髄にあらずや、而して今志を立て、萬里の波涛を、践み破りたる商人にして尚如此、我商家の賑はざる」は致し方なし、と。ビジネスの要諦である「忍耐」を心に秘めて遠く異国の地に赴いたはずが、早々と店仕舞いして帰国してしまう。これでは異国におけるビジネスに期待が持てるわけがない。

 阿川は「明治廿四年中支那貿易各港総輸出価格表」ほかの貿易統計から、「我国の遠く欧米に及ばざること明瞭なるべし」とした。「我邦人の徒らに喋々東洋貿易の事を説く」が、口先だけ。その「大いなる原因」は欧米に較べ取引港が圧倒的に少ないことにある。

 当時、上海、漢口、広東など25港が海外に向って開かれていたが、日本との条約港は上海、鎮江、漢口、九江など14港に過ぎなかった。「他は皆欧米人の為す所に任す、我邦人は唯だ指を咬へ涎を垂るゝのみ」。なぜ欧米諸国に後れをとっているのか。「我国と支那」との地理的・歴史的関係に基づくなら、こんなハズではなかろうに。「局に当るの人一考して可なり」。貿易拡大のため、政府当局者は頭を働かせ工夫せよ、である。

 海関には新と旧の両種がある。「新」である「外国貿易場の税関」は全国に19カ所あり、ほぼイギリス人税関司が管轄し莫大な税とビジネス・チャンスを握っている。

 一般に「支那人猜疑心多し」というが、それは違う。自国の税関を「外人の蹂躙する所たらしめ」たままだ。この国には「感慨悲歌之士は薬にする程もなく」、誰もが飽食を貪り私利私欲に奔って国家を顧みない。現状は「頭も金の為めに叩き、腰も金の為に屈し、只た只た金なきを是れ感慨悲歌するの士あるのみ」。徹頭徹尾の拝金主義である。

 「税関の小吏等」は上司である「西洋人等に蹂躙叱咤」されても唯々諾々と従う一方、商人には難癖をつけ賄賂を取り私腹を肥やす。このような振る舞いが「大いに自国の利を剥奪せらる」にもかかわらず、である。税関吏のみならず清国人全般が「西洋人とさへ言へば到る所皆尊敬の意を表」す。殊に巡査の卑屈さは度が過ぎる。

 じつは西洋人税関司が日本人を雇おうとしたことがあるが、清国人の徹底反対に遭って断念せざるをえなかった。それというのも「其の眼光の慧鋭なる」「其の手腕の鋭敏なる」「其の言語の熟達なる」「其の人種の同類なる」日本人が税関吏に就いたら、清国人の不正は直ちに暴かれてしまい、日本人に職場を乗っ取られてしまうことを恐れたからだ。

 「固より日本人は誰一人として支那人に雇はるヽことを望」むわけがないとする阿川だが、やはり清国人官吏の「奸佞卑劣」ぶりが気になって仕方がなかったのだろう。

 清国人官吏は税関に持ち込まれた品物に関し、「欧米人等の分を先きにし、我邦人の分を後に」するだけでなく、イチャモンをつけることを常とした。また銀行で日本人が取り引きを依頼しても、まともに取り扱ってはくれない。税関でも銀行でも「日本人の虐待を受け不便を蒙ること推知すべし」。

 対外貿易の要である税関のうち、西欧人管轄の新税関がこういったデタラメだから、「国内水陸四通の地に設置し、運搬貨物に対し抽税する所」の「旧海関」に至っては、「賄賂公行下民虐待の支那」であればこそ、もはやいうに及ばない。

 かくデタラメ極まりない清国であるにもかかわらず、我が政府は明確なる対応策を打ち出していない。かくて阿川の憂国悲憤の情が迸ってしまう。

 「嗚呼今日我国の政府は如何、国家の大本未た立たず、施政の方針未だ定まらず、苟且偸安、因循姑息、一時之れ彌縫、目前之れ画策、一事起れは委員之択び、国会開くれは議員之れ籠絡、外交の事に至ても清国に於てすら欧米と対等の条約を締結する能はさるにあらすや」と、憂国の情は深く、切歯扼腕するばかり。

 外交交渉に派遣する人材は「不平家若くは遣り場なきもの若くは老朽無用のもの」であり、当時最大級の外交手腕を必要とした「支那朝鮮の公使」にしても、「老朽無為」の人物を当てる始末だった。

 国会にしたところで旧態依然であり、「政府の古穴を深堀」するだけで建設的な働きなど微塵もみられない。政治家がブザマさを呈すれば、「紳商豪農」もまた「眼前の小利」に汲々とするばかりで、国家百年の大計を忘れている。結局は「唯自已の安全を図かり、公共の得失を顧み」ない。こんなことをしていては、「隣邦天府の財源は挙けて外人の為す所に任す」しかない。「我内治の挙らさること」「商業の振はさること」「国権の伸はさること」を放置していたならば、中国の富は凡て西洋人に攫われてしまう。

 目下の「東洋の雲行き」や「西洋の形勢」を前にして、「国家の大本未た立たず、施政の方針未だ定まらず、苟且偸安、因循姑息、一時之れ彌縫」といった状況は、なにやら21世紀初頭の現在にも通ずるようだ。


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