日ロ双方は、両国首脳が北方領土問題解決への意志を持っていることと同問題の解決の必要性を確認したほか、問題解決のための環境整備のため今秋以降、ロシアの「統一ロシア」と民主党という両国の与党間の交流を活発化させることでは合意をみたものの、両者の同問題に対する姿勢の温度差は改めて浮き彫りにされた。つまり、日本が北方領土を日本固有の領土と主張しているのに対し、ロシア側は「第二次世界大戦の結果」として実効支配を正当化する姿勢を崩していないのである。
「ガスプロム」のメドヴェージェフ副社長との対談では、ロシアから日本へ向けたガスパイプライン敷設の可能性に関し、候補ルートの一つとして「(サハリン南端から)40キロのパイプラインで稚内へつなげる」案などについて議論された。日本では、原発稼働の問題が深刻化する中、電力不足が深刻化し、ロシアのLNG(液化天然ガス)輸入の需要が高まっているのは事実であり、また、ロシアも昨年の東日本大震災以来、日本へのLNGの売り込みに躍起となっている。このように、ロシア側は北方領土問題については、形式論ばかりを繰り返す一方、経済協力に関しては非常に熱心であり、実質的な議論は経済問題に終始していると言って良い。
森氏に寄せられる期待
そして、二つ目の計画を担うこととなった森氏に対しては、かなり強い期待が持たれていることが推察できる。
野田首相は4月25日に、森政権時代に、ロシアとの領土交渉に深く関わり、ロシアと太いパイプを持っていた新党大地・真民主代表の鈴木宗男前衆院議員と会談し、鈴木氏からも、森氏の派遣について強いお墨付きをもらったようだ。
森氏は、プーチンとはファーストネームで呼び合う関係であり、もともとロシアに縁がある人物だ。森氏の父、森茂喜氏は石川県の旧根上町長時代に日ソ友好協会会長として1950年代からソ連(当時)との交流事業を進めた人物だった。茂喜氏は1989年に亡くなったが、根上町と姉妹都市を結んだシェレホフ市(イルクーツク州)に分骨された墓が2001年に造られ、プーチン大統領(当時)が森氏と共に、墓参りに行ったという。そして、森氏は、自身とプーチンとの個人的信頼関係が深まったことで、今の日本とロシアの距離は随分と近くなったと述べている(森喜朗ブログ「ウラジミールのこと(1月30日)」)。
そして、まさにそのイルクーツクで、2001年3月に森・プーチン会談が行われた。「イルクーツク声明」で1956年の「日ソ共同宣言」(日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す)が北方領土返還交渉の基盤となることが合意されたのである。
経済協力を重視したいロシア
だが、このイルクーツク会談は、それほど日本にとって楽観的要素にはならないことも肝に銘じておくべきだ。会談の際、日本側がさらに「2島ではなく、4島が欲しい」と主張したことに、プーチン氏は不快感を示し、「これはもう1956年の宣言ではなく。全てが再び出発点に戻った」と譲歩の可能性を強く否定したということもあったからである。
野田首相は、森氏の訪問が、日ロ間の関係深化に重要かつ有益になると発言しているが、その発言の裏に、これまでの森氏の活動の経緯に鑑みても、北方領土問題の状況打開への希望があることは明らかだ。
しかし、ロシア側は全くそのようには考えていないように見える。たとえば、ロシアの経済高等学院のアンドレイ・フェシュン氏は、「野田首相と同様に、森氏が重要な交渉役となることには同意しながらも、ロシアはかなり前から、経済協力と領土問題の解決を別に考えるよう呼びかけている。かつ、日本のエネルギー不足が日ロ関係を深化させる重要な要素となっている」ことを指摘しており(「The Voice of Russia」内記事)、そこからはロシアが領土問題はさておき、経済関係を深化させたい様子がありありと見て取れる。