田部康喜のTV読本

2020年3月11日

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田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

「それは町長の役割ではありません」

 地震発生から10分後――

 町の防災のスピーカーから、消防署が気象庁の津波警報が3mであることを繰り返し伝えて、警告していた。

 この情報に関しても、職員の判断は分かれた。

 中央公民館にいち早く避難した、越田氏は小学生時代の記憶が蘇った。1960年に三陸地方を襲った、チリ地震津波である。町の庁舎が津波に浸水された。「こんどの大きな地震では3mではおさまらなくて、これを超える」と考えた。

 庁舎の前にいた、元副町長の東梅政昭氏は、こう考えた。

 「3mの津波がきても、6.4mの防潮堤があるから大丈夫だ」と。

 さらに、東梅氏は2010年にチリで発生した、マグニチュード8.8の地震の際の記憶もあった。気象庁は大津波の警報を出したが、1.5mを超えず町の庁舎は浸水しなかった。

 地震発生から15分――

 町長の加藤氏からの指示はなかった。記録の写真をみると、加藤氏が庁舎の前の井戸水のポンプを点検している様子が写っている。加藤氏の行政手法は、自ら先頭に立つのではなく、周囲の意見を聞くタイプだったいう。平時には、信頼される町長だったが、危機においてリーダーシップを発揮できなかった。

 中央公民館に執務室があった、教育長で災害対策本部の副本部長となる伊藤正治氏が、庁舎にかけつけると、加藤氏が潮位計をみているのに出くわした。

 「町長の役割ではありません」と声を出した。

 地震発生から30分――

 職員たちは、指示がないこともあって、手持ち無沙汰から庁舎の机といすを出して並べ始めた。「とにかく会議をして、方針を決めよう」と呼びかけた幹部もいたが、町長の加藤氏は椅子にすわったままで決断はなかった。

 地震発生から35分――

 ついに、巨大津波が大槌町を襲った。町長の加藤氏と幹部、職員は屋上を目指した。しかし、屋上に続く最後の関門ともいえるのは縄梯子だったので、ひとりずつしか上がれなかった。たどり着いたのは15人に過ぎなかった。

 大震災当時、町の総務課の主幹として災害対策の中心にいた、現町長の平野公三氏は、静岡県富士市で自治体の職員向けに講演した。

 「災害から自分を忌避することを考えてこなかった。職員の命を守らなかったことが、町民のためにならなかった。みなさんには、そうした対応をしていただければと思う」と。

 大槌町は、亡くなった職員一人ひとりについて、遺族に当時の状況を報告することをようやく始めようとしている。

  
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