田部康喜のTV読本

2020年3月11日

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田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

被災当時、甚大な被害を受けた岩手間大槌町=2011年3月(ロイター/アフロ)

 NHKスペシャル「40人の死は問いかける~大槌町“役場被災”の真実」(3月8日放送)は、東日本大震災の巨大津波によって、町役場の人員の約2割に相当する40人が犠牲になった岩手県大槌町役場であの時、組織とリーダーたちがとった行動を調査報道で探った力作である。

 新型肺炎の感染者が列島に広がるなかで、旧日本軍の組織原理メスを入れた「失敗の本質」(戸部良一氏ら、1984年)が日本的組織の病理を明らかにしている、として読み継がれている。今回のNHKスペシャルは、大震災から本書に匹敵する教訓を引き出せることを実証している。

 2011年3月11日午後2時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130㎞の深さ24㎞の地点でマグニチュード9.0の地震が発生した。大槌町まで巨大津波が到達するまで、35分間に役場で何があったのか。生存している町の幹部や職員たちはこれまで、固く口をつぐんできた。大槌町を襲った、高さ10mを超える津波は町民の約1割にもあたる1286人の命を奪った。

 当時の町長だった、加藤宏暉氏をはじめとして、幹部14人のうち8人が亡くなった。加藤氏は震災によって死亡した唯一の首長となった。幹部の大半を失ったことで、震災後の対応は遅れた。罹災証明書の発行がままならず、避難所の対策も後手に回った。

 町は、公開を避けながらも、生き残った職員の聞き取り調査を続けてきた。NHKは今回の調査報道のために、情報公開制度を使って計約500ページにおよぶ調査報告を手に入れた。さらに、30人の幹部、職員にインタビューを行って、「役場被災」の真実に迫った。

 地震発生から5分――

 職員の判断は真っ二つに分かれた。町の地域防災計画では、「庁舎が使用に耐えないとき」に災害対策本部は、近くの海抜34.7mにある中央公民館に移動することになっていた。震災後の新しい防災計画の策定にあたって、「使用に耐えない」というあいまいな表現が削除された。

 町役場は、鉄筋コンクリート建ての本庁舎と東西の庁舎、そして「裏庁舎」と呼ばれていた木造の庁舎からなっていた。裏庁舎にいた、福祉課の越田由美子氏は、同僚の「逃げるよ!貴重品を持って!」という声に、10人ほどの同僚とともに中央公民館にいち早く避難した。

 「こんな大きな地震なので、中央公民館に職員がどんどん上がってくると思っていた。しかし、こなかった」

 庁舎に残った職員たちは、庁舎の中から出て集まり始めた。電源は切れて、テレビの情報も得られない。携帯はつながらない。やることの指示がないままに、職員たちは立ちすくんでいた。

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