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2020年6月6日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

ロシア、当初はサミットと無縁

 主要国首脳会議と呼ばれるサミットは1975年に第1回、フランス・ランブイエで開かれ、以来、毎年各国持ち回りで開かれている。当初のメンバーは提唱国のフランスに日本、アメリカ、イギリス、当時の西ドイツ、イタリアの6カ国。後にカナダ、EU(欧州連合)が加わった。

 1973年のオイルショック以降の世界的不況を克服するために、西側首脳が個人として参加、胸襟を開いて話し合おうというのが目的だった。政治問題に関する本格討議は避け、経済討議前日の夕食会で話し合う程度という形式が続いた。反面、冷戦なおたけなわであった時代を反映して、旧ソ連のアフガニスタン侵攻やINF(中距離核ミサイル)の配備などといった問題をめぐって、西側の結束を確認するという意味で政治色が濃くにじんだ展開になったこともしばしばみられた。

 そういうサミットに、経済の仕組み、規模が全く異質で、政治、安全保障で鋭く対立する旧ソ連が参加するなどありえなかった。しかし、冷戦終結、ソ連崩壊が状況を大きく変えた。

 1991年のロンドン・サミットにゴルバチョフ大統領(当時)が招かれ、全体会議終了後に各国首脳との非公式会合が開かれた。これがきっかけとなり、94年のナポリ・サミット(イタリア)から政治討議に限ってロシア首脳が出席することになり、2003年のエビアン・サミット(フランス)から全討議への正式メンバーとして加わることになった。 

G7のありかた考える機会に

 「自由と民主主義」という西側諸国の価値観とはまったく無縁なロシアの参加については、「政治ショー」になってしまうと参加国内でも当初議論があった。とくに、領土問題を抱える日本は微妙な立場であり、反発する声も少なくなかった。日本でのサミットに初めてロシア首脳を全日程に参加させた2000年の沖縄・サミットでは苦悩のすえの招請だった。

 秋以降のサミット開催前に、日本がロシアの復帰について、議長国米国に対して賛否を伝える必要があるのかは不明だが、安倍政権にロシア参加に正面切って反対することは期待できないだろう。

  ロシア参加の是非とは別に、G7サミットについて、トランプ大統領や文在寅大統領が「時代遅れ」「限界がある」などと酷評していることにもこの際、謙虚に耳を傾けなければなるまい。リーマン・ショックを契機にG20が国際経済、金融についての首脳協議の場として重みを増し、G7は存在感が薄れつつある。ロシア復帰問題がくすぶりだしたことを機会に、G7のあるべき姿についてあらためて検討するのも一興だろう。

  
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