2024年11月22日(金)

Inside Russia

2012年6月21日

 政界進出への道を開いてくれたアナートリーにプーチンは恩義を感じていた。エリツィンに引き立てられたプーチンが大統領になる直前に行われたインタビューで、彼はアナートリーについてこんな言葉を残している。

 「彼は傷のない評判を持った立派な人間だった。さらに、彼は聡明で、率直で、才能がある。彼のような人間は好きだ。彼は本物だよ。サプチャクと私がきわめて近い関係で、親密で、内密の話をしていたことを知る人は少ない」(扶桑社刊 「FIRST PERSON プーチン、自らを語る」より)

 パリから帰国したアナートリーは2000年2月、プーチンの大統領選挙キャンペーン中、不慮の死を遂げた。殺人の疑いも浮上したが結局、解明できなかった。享年63。葬儀で打ちひしがれるプーチンに、妻リュドミーラと次女クセーニアがそっと寄り添った。その後も、プーチンはリュドミーラやクセーニアと一緒に墓参りをして、恩師の家族と親しく付き合ってきた。

「ロシアのパリス・ヒルトン」になるまで

 クセーニアは子供の頃から、英才教育を受けた。マールイ劇場でバレエも披露したし、エルミタージュ美術館にも作品が並べられた。成人になって首都に行くことを決意し、2002年、政治家や外交官の師弟が通うモスクワ国際関係大学に入学、エリートの卵に囲まれながら、政治や外交を学ぶ。

 ロシアのリーダーになったプーチンが社会に安定をもたらし、着実に大衆の信頼を築き上げていった時期に、クセーニアはセレブ女性としての地位を確立した。

 周りはプーチンの庇護を受けていると感じ取り、クセーニアを大事にしてきたのだろう。その華麗な経歴に目をつけたのはテレビ界だった。国営企業傘下の放送局が2004年、「ドーム2」というリアリティ番組の進行役を担わせた。

 これが当たった。番組は、一般素人の若い男女たちが一緒に家を建てるというシナリオで、恋愛あり、痴話げんかあり、トラブルありの筋書きのないドラマを編集したものだが、視聴率を稼ぎ、クセーニアの名前をロシア社会に知らしめた。

 彼女はその後、テレビタレントとして若者向けの音楽番組や娯楽番組に出演して、〝しゃべり〟の経験を積んでいき、今度は、番組を仕切る司会者役を任されるようになる。2008年にニューヨーク・タイムズが、ロシアのタブロイド紙の隆盛を取り上げる記事の中で、クセーニアのことを「ロシアのパリス・ヒルトン」と紹介し、国際デビューも果たした。

父親譲りの性格
歯に衣着せぬ発言で人気者に

 実際、金髪でお金持ちの有名人セレブは、タブロイド紙が作り出すスキャンダルの主役だった。この頃、撮影された映像作品で彼女は下着姿でベッドの上に座り、男性を誘惑する女性を演じている。社交界でも売れっ子だった彼女はそんなセクシーな役回りも平気で演じていた。


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