最も深刻な影響を受けるのは日本
地政学的に中国との関係が複雑な日本の受ける影響がもっとも大きいといっていい。
ここ十数年の日中関係をみると、中国の異常な軍拡、尖閣周辺での中国艦船の不法な動きの常習化、違法漁船の日本巡視船への体当たり事件(2010年9月)、安倍首相の靖国参拝(2013年12月)など、冷却した期間が長期間にわたって続いてきた。
ここ数年来、関係改善の兆しが見え、昨年6月には、大阪での20カ国・地域首脳会議(G20)という多国間会合の機会であったにせよ、習近平氏が国家主席としては9年ぶりに来日。12月には、安倍首相が日中韓サミットに出席するため中国を訪問した。
しかし、一方で、ことし春に予定されていた習主席の来日が新型コロナウィルス感染拡大の影響で延期されたまま、実現のめどがたたず、尖閣周辺で緊張が続くなど、日中関係は依然、微妙な状況にある。
こうしたなか、日本政府は自ら音頭を取って6月17日、香港問題に関するG7(先進7カ国)声明をとりまとめた。中国が制定作業を進める「香港国家安全法」に「重大な懸念」を示し、香港で守られてきた権利や自由の尊重が「不可欠」として、中国政府に再考を強く要求。同法が香港における「一国二制度」と高度な自治を損なうリスクがあるーと警告した。
2度にわたる過去の米国の「不実」
米国とも十分協議したうえでの声明発表だろうが、ここで 想起されるのは、冒頭に触れた米中頭越し接近、日本が煮え湯を飲まされた経緯だ。
アメリカは戦後、北京ではなく、台湾の国民政府と外交関係を維持、中国の国連加盟にも一貫して反対してきたが、1971年7月、ニクソン政権(共和党、当時)は突然、大統領が翌年に中国を訪問すると発表した。当時、ベトナム戦争の終結の方策を探っていたアメリカは北ベトナム(当時)を支持していた中国に接近することで、その実現を図ろうとした。あわせて中国と対立していたソ連をけん制しようという思惑も隠されていた。
アメリカはニクソン訪中計画を日本には一切説明することなく進め、米国同様、台湾との外交関係を維持して中国の国連加盟阻止の旗振りを進めてきた日本の衝撃は大きかった。この年の8月、米国は経済でも、やはり突如として金とドルの交換を停止、戦後続いてきたプレトン・ウッズ体制を崩壊させた。
これら一連の衝撃は〝ニクソン・ショック〟と呼ばれ、国民の反米感情を高め、当時の佐藤栄作政権は世論、国会で集中砲火を浴びた。このことが1972年7月、佐藤退陣を受けて発足した田中内閣をして、組閣2カ月後に、米国に先んじて日中国交正常化を断行させる遠因となった。
米国の不信義に日本が泣かされたのは、ニクソン訪中だけではない。やはり中国で1989年6月に起きた天安門事件。民主化を求める学生ら多数が、丸腰にもかかわらず、人民解放軍の武力行使で死傷した。一説では死者一万人以上ともいわれる。
米国のブッシュ政権(父)は事件翌月、フランスで開かれた主要国首脳会議(G7、アルシュ・サミット)で中国への強力な制裁を主張。慎重論があった日本も全面的に同調したが、当のアメリカが、これとほぼ時を同じくして大統領補佐官(国家安全保障担当)を北京に極秘に派遣、当時の最高実力者、鄧小平氏らと会談させていたことが後に明らかになった。
2度にわたる不実でメンツを大きく傷つけられた日本は、これを利用して円借款を再開して関係改善に乗り出し、1992年10月、自民党強硬派の反対を押し切り、天皇陛下(現上皇)の訪中を実現させた。中国の銭其●(王ヘンに深のつくり)外相(当時)は後に回想録のなかで、天皇訪中を各国の制裁打破の突破口として利用したことを明らかにして日本側の反発を買った。
〝友情〟におぼれるな
超大国が自らの国益と地位を維持するために、同盟国であろうと他国の事情など歯牙にもかけないことは歴史を振り返ってみれば明らかだ。しかも、トランプ氏は「アメリカ・ファースト」を叫んではばからない。
ボルトン回想録では、トランプ大統領のもっとも親しい友人は安倍首相であることを認めている。トランプ、安倍氏が本当に親友同士なのかはわからないが、友情におぼれて、わが国の国益を損なうことがあってはなるまい。米国による過去2回の〝チャイナ・ショック〟の教訓をよもや忘れないだろう。
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