義久さんによれば、昼は、ご両親が店を切り盛りし、義久さんは裏方に徹し、恵子さんもカウンターに立つ。夜は、義久さんと職人さんがカウンターに立ち、恵子さんに週末は純子さんもフロア、義一さんたちも洗い場など裏方を手伝う。これまで、魚屋の隣にこじんまりあった店は全面改装し、シックな門構えになった。その設計も、恵子さんの夫の原村さんが手がけたという徹底した家族経営ぶりだ。
そして大将の義久さんも、17歳の頃から寿司職人の修業をしてきた。小泉元首相も食事した西麻布の『権八』や六本木の『尾前』などの有名店で働き、恵子さんが修業した日本料理屋でも3年、働いた。その後、海外で暮らしたいが、「ブッシュ政権のアメリカには行きたくない」と、5年間、バルセロナでも寿司を握った。
その義久さんが昨年、帰国して屋号『魚真』そのままに店を継いだ。
恵子さんが教えてくれた。
「私も兄も、両親はまだ元気だし、できるだけ仕事して欲しいと思っていたし、父も兄が若かった頃は、まだ早い、子供が2人でも出来て責任が出てからでないと、と言っていた。あまり若いうちに店を任されて潰しでもしたら大変だと、待っていたみたいですよ。」
寿司屋らしからぬ客層の広さ
土曜日の夜、店は、予約客でいっぱいだった。
面白いのは、家族経営の故か、和服姿の2人連れから常連らしき男衆、2人の子を連れた家族に若いカップルと、寿司屋らしからぬ客層の広さ。
4800円の「和(なごみ)」のコースを頼むと、活きのいい旬の魚が次から次へと出た。
厚いヒラメの刺身、マグロ、ぽん酢ガツオ、マナガツオの焼きもの、そこから握りが始まる。絶品のアジ、まだ動くつぶ貝、繊細なアナゴ、ホタテの貝柱におすまし。つい満腹のくせに、周りの食べる風情がおいしそうだと、ウニといくらのミニ丼も追加。
季節感のあるお勧めの日本酒リストが、通には嬉しい。この日のお酒は、福島の野恩、富山の苗加屋、栃木の姿、佐賀の東一。これは、恵子さんの担当。
親思いの子供らに囲まれた立川談志似の若々しい義一さんだが、実は、これまで何度も九死に一生を得たという。
「最初は49歳の時、硬膜下血腫ね、次は59歳で心不全」この時は、恵子さんが偶然、夜中に起きていて命拾いした。「次は61歳で心臓の大手術。」
「ヘルニアもやったし、これまで6回は入院して店を空けてんだよ」と言うのは久子さん。「その度に私、男みたいに働いたもんね。仕入れもやったし、“お父さんの魚と違う”なんて言われると、こん畜生って思ってね。今じゃ、鬼ばばあなんて言ってるけどさ。私ね、お客さんでも携帯みながら食べてたりすると、思わず叱っちゃうのよ。義久はやめろって怒るけどさ、今の子、あまり怒られないんじゃないかと思ってさ。」
そんな賑やかな久子さんに馴れ初めを伺うと「口八丁手八丁って言うだろ、よく働きそうな女だったからね」と照れるが、伊豆の出身で、若い頃、義一さんに見染められて嫁入りしたのだった。
昼の仮眠もとれぬまま、夜の仕込みにかかる寡黙な大将、義久さんに「親子の確執なんてあるんですか?」と訊ねると、しばらく間があってから、「確執なんてもんじゃないです、毎日が喧嘩です」とぼそっと返ってきた。
そんな気風のいい家族の会話もまた、味わい深い店である。
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