2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年7月23日

 艾は釈放されたが、1年間の保釈期間中は基本的に家にいなければならない。裁判は保釈期間終了まであと1日という6月20日に開廷した。当局は、艾を出廷させないように考えたのだろう。さらに、保釈期間が終了しても、艾にパスポートが返却されることはなかった。2010年に女性4人と裸で撮影した芸術写真が問題とされ、わいせつ物品伝播罪と重婚罪の容疑がかけられているという。

 艾に対する拘束や追徴課税にはおかしな点がいくつもあると浦は話す。まず、艾は「自然人」(法律用語で「法人」に対する「個人」という意味)であり、企業の納税主体ではないため、脱税容疑で拘束することは法的に不可能だ。その上、問題となった企業の代表は艾の妻だが、拘束されたのは艾だった。さらに、逮捕の前提として税務機関が処罰を行うべきだが、艾は処罰される前に拘束されている。昨年は中国版ジャスミン革命を警戒する当局が手当たり次第に人を疑い、拘束していたが、艾もその網の目にかかったのだろう。

 公安は艾を保釈する際、「浦志強にだけは弁護を頼むな」と言ったという。浦の手腕は公安にさえ恐れられている。しかしその1週間後、艾は浦との契約書にサインした。6月20日の法廷内の様子を浦は皮肉たっぷりに描写した。

 「医者よりも丁寧にセキュリティーチェックをしてくれた。それに、5席の傍聴席しかない特別に小さな部屋を選んでくれたおかげで、自分の隣には警察が座ったよ。審議中、俺がちょっとでも興奮すると、お茶を入れてくれたり、食べ物はいるかと聞いてくれたりした。トイレにまでついて来てくれたね」

制度を変える動きをつくる

 7月20日、艾の裁判の判決が出た。敗訴だった。しかし、浦は負けたとは考えていない。訴えを起こすことで多くの人の関心を呼ぶことができたからだ。逆に、方の裁判では勝訴したが、司法を変えていくという本来の意味で勝ったとはいえないという。なぜなら、政治の風向きによって判決が変わることを証明したようなものだからだ。薄熙来が在職していれば、方は裁判を行うことさえできなかっただろう。

 だが、浦は裁判の勝敗にかかわらず、重要な案件を選び取って問題提起を行っている。浦の目的は、制度を変える動きをつくることだ。その目的を一定程度果たすことができるなら、行動を起こした意味がある。そのような観点から、浦は「公共事件」や「公共人物」に関わる案件を選ぶようにしている。これらは中国語メディアにしばしば登場する言葉で、社会に幅広く影響を及ぼす事件や人物を意味する。

 たとえば、方のケースでは、国の高官を批判する言葉が原因で、不服申し立ての機会も与えられず、1年間も強制労働に従事させられ、自由を奪われた。日本の「刑法」には公務員に関する名誉棄損は、一般の国民とは別に規定があり、対象となる行為が公益を図ることにあったと認められ、それが真実であれば、実名で流布しても名誉毀損には当たらないと定めている。しかし、中国の状況はこのまったく逆であり、政府や党の高官に対する批判はどのような場合でもおよそタブーとなっている。

 浦は方の案件に関わることで、労働教養制度の廃止や言論の自由を訴えたいと考え、労働教養制度に関して違憲立法審査を要求する書面を提出した。


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