2024年11月22日(金)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2020年10月15日

なぜ「私は薬の神じゃない」というタイトルなのか?

 映画の成功の背後には、「薬の神じゃない!(原題・我不是药神)」という秀逸なタイトルがあった。寧浩には、なぜ「私は薬の神じゃない」というタイトルにしたのかも尋ねた。

 寧浩によれば、タイトルは当初、「私は薬の神」になる予定だったという。制作関係者の間では「神」という一文字はぜひ使いたいという共通認識があった。企画会議の最終段階で誰かから「自分を薬の神というのは、違法の薬を売っているのだし、あまりよくないのではないか」との指摘があったという。「確かに傲慢な印象を与えるかもしれない」と気づき、また別の誰かが「薬の神じゃない」にしてみたらどうだろうかと言い出し、最終的に、その案でまとまったという。

©︎2020 Cine-C. and United Smiles Co., Ltd. All Rights Reserved

 主人公はあくまでも社会の末端にいる人物で、決してメーンストリームを歩いているわけではない。たまたま持ちかけられた話に乗ったところ、一時は大儲けで自分を見失うほどになる。神を語るような正義の味方ではなく、むしろ一人の普通人の主人公の存在が、次第に「正義」に引き寄せられて変わっていくところがかえって深く見る者を」惹きつける。だからこそ「薬の神じゃない!」というタイトルは非常に秀逸である。

 この作品をより深く理解するためには、白血病治療薬をめぐってこの10数年、世界の注目を集めてきた分子標的薬の問題を理解したほうがいい。白血病の治療薬として有効性が認められるメシル酸イマチニブを使用した「グリベック」という薬を、スイスの製薬大手ノバルティスが開発し、世界各国で特許を取得していた。その効果は大きかったが、グリベックの価格は非常に高価で、保険適用がなければ一般市民に使用が難しい国は多い。世界中でジェネリック薬を求める声があったが、ノバルティスは特許と訴訟によって押さえ込んできた。

 これに対して、製薬産業が発達し、ヨーロッパと異なって分子構造が異なるだけでは特許を認めないインドでは、ノバルティスのグリベックの特許を認めない最高裁判決が出ていたので、インドではジェネリック薬が販売できていたのだ。

 2015年、中国では陸勇(映画主人公の名前と一文字違い)という湖南省在住の男性が、グリベックのジェネリック薬があり、自ら服用すると効果があることがわかった。知人らとインドで購入し、同じ白血病患者たちにも分け与えた。中国では許可されない薬を持ち込んだ容疑で陸勇は逮捕されるが、多くの白血病患者が署名嘆願を行って社会の注目も集まり、最終的には減刑処分のうえ、釈放された。この事件がきっかけで治療薬が保険適用され、中国で白血病患者の死亡率が下がったのはよく知られている。

 この陸勇事件の実話に基づいて製作されたのが本作であるが、映画のできがいいので、有力映画サイト「豆瓣」のレーティングでは「9」を記録した。「9」を記録した映画はかつての香港映画の名作「無間道(インファナル・アフェア)」以来とも言われてさらに注目が集まり、日本円にして中国国内だけで500億円近い超特大のヒットになったのである。

 中国映画の製作規模は拡大の一途をたどり、荒っぽい歴史大作や底の浅い恋愛映画で興行成績を稼ごうとする作品も増え、玉石混交状態が強まっている。それでも、本作のように、ともすれば中国政府批判になりかねない題材を巧みに大衆娯楽作品に転換し、ヒットさせる手腕は賞賛に値する。観客が多いことは作り手にもいい緊張感を与える。映画大国・の実力を痛いほど感じさせる一作としてぜひ見ていただいたい作品だ。

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10/16(金)、新宿武蔵野館、池袋シネマ・ロサ他全国順次公開
配給:株式会社シネメディア
コピーライト:©︎2020 Cine-C. and United Smiles Co., Ltd. All Rights Reserved

  
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