香港の民主活動家で、元政治団体「デモシスト」メンバーのアグネス・チョウ(周庭)さんが、10日夜8時(日本時間9時)ごろに、香港・国家安全維持法に関する容疑で逮捕された。11日深夜に周庭さんは釈放されたが、そのときの日本メディアの取材に「拘束されている時にずっと『不協和音』という日本語の歌の歌詞が、
周庭さんの逮捕後、日本のSNS上では「#Free Agnes」の呼びかけが広がるなど、大きな反響を呼んだ。ツイッターで46万人のフォロワーがいる彼女の知名度は日本社会で非常に高い。逮捕時、白いシャツにスニーカーを履き、マスク姿で警察車両に乗せられて連行される姿は大きな衝撃を与えた。周庭さんは7日ごろからFacebookで「家の周囲に怪しい男たちがいて、家の写真を撮っている」と不安を口にしていた。
釈放は11日深夜に行われた。Facebookで「Back home. I love you all(家に帰った。みんな愛してる)」と無事の帰宅を報告したが、安心できるわけではない。香港では、容疑者の逮捕後、特別な事情がなければ48時間以内に釈放が認められる慣しで、本格的な取り調べはこれから始まる。9月1日に呼び出しを受けているという。
容疑は7月1日施行された国家安全維持法違反。国際社会の強い懸念にもかかわらず、中国政府主導で導入された同法は、香港の民主化運動を行っている人々に容赦なく向けられている。10日には周庭さん以外にも、中国に批判的な香港紙アップル・デイリーの創業者、ジミー・ライ(黎 智英)氏ら同紙幹部も複数が同容疑で逮捕されており、香港の人権や自由は大きな脅威にさらされている。
筆者は8月10日刊行の新著『香港とは何か』(ちくま新書)で、くしくも周庭さんと『不協和音』という歌の関わりを取り上げている。この本では、周庭さんの生い立ちから運動に関わったライフヒストリーを紹介している。
周庭さんはよく知られているように日本語が流暢で、日本メディアとの取材も日本語で自在にこなす。彼女の日本語は、日本のサブカルチャーに熱中した小中学校時代に縁が生まれた。現在のように政治的な言葉を使えるようになるまでは、日本語専攻でもない彼女として、独学で言葉を覚えながら磨き上げてきた努力のたまものだが、あくまでも出発点は日本文化との出会いだった。自ら「オタクだった」と称してるほどで、日本に訪れた時はカラオケで日本の歌謡曲を歌うことを楽しみにしている。
釈放直後の周庭さんが言及した『不協和音』(作詞・秋元康、作曲・バグベア)という歌は、女性アイドルグループ、欅坂46のヒット曲だが、その歌詞のなかにこんな下りがある。
僕はYesと言わない
首を縦に振らない
まわりの誰が頷いたとしても
僕はYesと言わない
絶対 沈黙しない
最後の最後まで抵抗し続ける
周庭さんはこの歌詞に心を打たれて、何か運動のなかで挫けそうな時になると、いつもこの歌の歌詞を思い起こしていた。孤独な夜を拘置所で過ごすときに『不協和音』を口ずさんで孤独な夜を過ごしたのは、今回が実は初めてではなかった。
2019年1月の私とのインタビューでこんなエピソードを語っている(『「香港はめっちゃバカバカしいことばかり。でも絶対に沈黙しない、最後の最後まで」』)。
「30時間、警察に拘束されたとき、何もすることがないので、拘置所でこの歌を歌っていました。今年の大晦日に紅白をみたけれど、センターの平手(友梨奈)さんが出ていなくて心配しました」
2017年の香港返還20周年のとき、周庭さんはデモシストのメンバーたちと香港返還を記念する公園のモニュメントに立ちこもり、警察に排除されて身柄を拘束された。そのときも『不協和音』が周庭さんの支えになった。
国家安全法によって突然の逮捕という事態に直面した周庭さんは「香港の民主化運動に参加して8年目になり、今まで4回逮捕されましたが、今回は一番怖かったし、一番きつかった」と語っている。
「最後の最後まで抵抗し続ける」という思いを、拘束中の暗い部屋の中で自分に言い聞かせていただのろうか。周庭さんは『不協和音』という歌に「叛逆性」が込められているから好きだと私へのインタビューで述べていた。本来、彼女が唱えている民主化や自由な選挙という要望は、叛逆というものではなく、中国が「50年間不変」と約束した香港の「一国二制度」のなかで認められてしかるべきものだ。
ところが、それを理由に「国家安全に危害を加えている」ということで逮捕されてしまうというのが現在の倒錯した香港の現実で、私たちの常識からすれば真っ当に見える主張を「叛逆的」なものに逆転させてしまっているのだ。