それにもかかわらず、今回の判決は主権免除の例外を認定した。その理由を読み取れる一節が判決文にある。
「国家免除理論は恒久的で固定的な価値ではない。国際秩序の変動に従って修正され続けている」というのだ(主権免除は「国家免除」とも呼ばれる)。既存の国際法秩序はあろうとも、必要以上に拘泥する必要はなく、時代の流れに合わせて新しい判断をすることは可能だということだろう。
翌日のハンギョレ新聞社説には、この点をさらに分かりやすくした部分があった。次のくだりである。
「国際法秩序は強者の論理を反映する側面が大きい。イタリア最高裁も2004年、第2次世界大戦中にドイツ軍に連行されて強制労働をした自国民への損害賠償をドイツ政府に命じる判決を出したけれど、国際司法裁判所はその後、ドイツの主張を認める保守的判決を下した。だが、国際法は固定不変でなく、人類が成し遂げた人権・正義の価値に歩調を合わせて変化しなければならない」
これは、大法院が2018年に徴用工訴訟の判決を出した時に聞いた論理と同じだった。
韓国紙のベテラン司法担当記者は「韓国の国際法専門家で日本企業敗訴の判決が妥当だという人は、ほとんどいなかった。ただ、一部の法学者に違う意見があった」と話す。大法院判決はいわば少数説を採用したことになるが、背景にあるのは次のような考え方だという。
「国際法というのは結局、強国の都合によって決められ、変更されてきた。ルールを決める枠外に置かれてきた弱小国の中で既存秩序に挑戦できる力を持つようになった国は、韓国しかいない。それならば試してみる価値はあるのではないか」(拙著『反日韓国という幻想』)
「反日の文在寅政権だから」の判決ではない
今回のような判決を見ると「反日の文在寅政権だから」と語る人がいるけれど、それは見当外れである。
私は2013年9月に、日本と関係する訴訟で「韓国司法は日本側の理解を超える判断を繰り返している」という長文の解説記事を書いた(「毎日新聞」2013年9月1日)。この記事を書いた時は朴槿恵政権であり、起点となった憲法裁判所の決定が出たのは李明博政権下だ。どちらも文政権とは敵対関係にある保守派の政権だ。
一連の司法判断の根底から感じられるのは、「正しさ」の追求である。朴政権下だった2014年の連載「『正しさ』とは何か 韓国社会の法意識」(「毎日新聞」2014年2月6~12日)を、私は次のように始めた。
「韓国の人々は、儒教の影響が残る韓国社会の特徴を『道徳主義が強い』と表現する。対立する相手を批判する時も『正しいかどうか』を問題視することが多く、そうした考え方は法に対する見方にも直結する。一方、日韓両国で法律観がかけ離れていることが、最近の日韓関係悪化の大きな一因とも指摘される」
日本の朝鮮半島研究の第一人者である小此木政夫・慶應義塾大学名誉教授はこの時のインタビューで、合意の内容より「守る」ことを重視する日本と、内容が道徳的に「正しいかどうか」を重視する韓国とは意識が違うと指摘した。
中国の儒教文化の強い影響下にあった近世までの朝鮮には、「何が正しいか」という名分論で正当性を主張するしかなかったことが背景にあるのではないかという。こうした伝統的価値観が民主化(1987年)を契機に復活した。
小此木氏の指摘に加え、韓国の国力が強くなって日本との力関係が劇的に変わったことも背景にあるのだろう。日本との関係には「正しくない」部分が多かったので、正すことを志向するようになる。それが、現在の状況につながってくる。
韓国の価値観に日本が従う必要はない。ただ、相手の考え方を知らず、自らの常識だけを基準にして批判しても自己満足にしかならない。それに一般論として言うなら、判決やハンギョレ新聞の指摘する通り国際法は不変固定のものではない。特に慰安婦問題は、’現在の国際常識から見れば決して許されない行為だ。国際社会にどうやって理解してもらうかを丁寧に考えなければ、思わぬところで足をすくわれかねないことは留意すべきだろう。
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