2022年7月3日(日)

WEDGE REPORT

2021年3月20日

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スズキ・トモ ((すずき・とも))

早稲田大学商学学術院、Oxford Institutional Mechanism Design(OxIMD)教授

公認会計士第三次試験合格。大手監査法人での銀行等の監査や上場準備を経て、LSEにて「社会科学哲学(修士号)」、オックスフォード大学にて「会計・経済の哲学(博士号)」を取得。オックスフォード大学常任講師・リーダー・主任教授(サステナビリティ・マネジメントと会計学)を務め、幾多のBest Professor賞を受賞。在英20年後、日本へ帰国、早稲田大学にて復職。
 

ディスクロージャーの変更で
経済社会の実態を変える

 しかし問題は、株式会社は株主の責任を当初の出資責任に限定し、その後は権利のみが永続する制度として法制化されていることである。株式会社が社会の隅々にまで影響を及ぼす根本的な制度となっている以上、その改革には相当の困難が伴う。

 では、そうした法制度の再設計に代わり、比較的簡単で、即効性ある政策イノベーションはあるだろうか。今日、成熟した経済を運営してゆく最も大切な要素は「カネ」ではなく、優れた動機やアイデアや忠誠心を持つ経営者や従業員、「ヒト」である。この「ヒト」たちのための市場設計は可能であろうか。

 ここで、筆者がインドで実践したディスクロージャーを中心とした制度設計を紹介したい。株主資本主義の下、投資による利益最大化を原動力に高い経済成長率が期待されるも、一層の環境破壊、所得格差、児童労働、収賄などの問題が危惧されるインドで、迅速に、社会的コストをかけずに、サステナブルな成長を推進する政策イノベーションを志した。

 あなたはインド上場企業の経営者であるとしよう。これまでは利益最大化のために企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)費用など考慮する余地もなかった。しかし、ここで政府が全く新しい制度を導入する。全ての上場企業はCSR費用を損益計算書上『一行開示』しなければならないとした(図3)。

(出典)筆者作成 写真を拡大

 この制度は金員の拠出を一切強要しない。これは単なるディスクロージャーで、「貴社の社会的貢献は素晴らしい。それを一行(One Additional Line)で開示してください」と求めるにすぎない。よって、新税・増税と異なり導入に伴う政治的ハードルは低い。一般に会計は外生的な現実を写像する中立的な技術として理解されがちであり、もしそうであれば、経営者は行動を変えることなくCSR費用をゼロに据え置くであろう。しかし経営者が適切なレベルでのCSR費用負担を選好するであろうことは想像に難くない。社会的な観点からの経営を意識するからである。

 翻って、あなたは国際機関投資家でインド市場を担当しているとしよう。一般に高いリターンが見込まれているインドではあるが、環境破壊や児童労働などのスキャンダルで株価崩壊のリスクが高い市場でもある。ここで企業が適切なCSR費用を負担していれば、その分利益が少なくなっていても、株価崩壊のリスクの軽減のために株価は上昇しうる。また、同調する投資家が多ければ、その影響もあって株価はさらに上昇する。加えて、この株価の好転を見て経営者は一層の適切なCSR活動に励むという好循環を生む。

 インドでは、このような行動経済学的な心理を利用した「One Additional Line」が15年に制度化され、日本の経済規模に置き換えれば年間2兆~3兆円のCSR費用が自主的に拠出されるようになり、現在までインド経済社会のインフラを急激に改善している。街中にトイレが設置され、無償の学校や病院が設立され、企業と地域の共生が推進されている。飛行機から見下ろせばスラムの屋根をブルーシートが覆い都市の色が変わっている(下写真)。要するに、財務諸表上の一行が、利益最大化行動の弊害を、短期間に、社会的コストをかけずに大幅に変更することに成功した政策イノベーションとして注目を集めているのである。

インドでのCSRの『一行開示』で、多くのスラム街にブルーシートが寄付された (TOMO SUZUKI)

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