2024年7月16日(火)

Wedge REPORT

2021年2月5日

──具体的にはどのような発見があったか?

渋澤 『論語と算盤』は、どこか道徳的、倫理的で、やさしい資本主義というイメージを持っていた。しかし、実際に読んでみると、栄一はかなり怒っている。その怒りとは「もっと良い社会、もっと良い会社、もっと良い経営者になれるはずだ」という現状に満足していないことだと思う。

 渋沢栄一の話は、未来志向という特徴がある。それは残された話の多くが、明治の末期から大正末期という、渋沢が高齢になってからの日本が「このままだと、将来悔やむことが起きるかもしれない」という不安があったからだ。

 江戸末期に生まれて、明治維新を経験し、西洋諸国に追いつくことができた。ただ、物質的な豊かさはあったものの、悪く言えば「成り金」でもあった。お金儲けは否定しないが、民間がもっと社会形成に意識を持つべきだと考えていたのだと思う。ところが、実際は「何かあれば、政治任せ」という、お任せ主義が蔓延していた。

 『論語と算盤』の中にある「大正維新の覚悟」では、渋沢栄一のこうした思いを読み取ることができる。しかし、大正維新は起きなかった。そのまま時代に流され、悔やまれる昭和時代を迎えた。渋沢が亡くなったのは、1931年(昭和6年)11月11日だが、満州事変が起きたのはその2カ月前の9月18日。渋沢は悔やみながら亡くなったのではないか。

──「分断・格差」の問題もある。

渋澤 「アメリカファースト」を掲げたトランプ前大統領は「me」の時代の象徴ともいえる存在だった。トランプ前大統領のもと、国内的にも国際的にも分断が進んだ。バイデン大統領になっても、この分断からの統合を図るのは容易ではない。

 分断は、トランプ前大統領によって始まったのではなく、21世紀以降、広がり続けてきたといえる。「9・11」は、繁栄を続けるアメリカをよそに、取り残された地域の人々の怒りが爆発したものだった。その後も「リーマンショック」が発生して、原因を作った人たちは税金によって助けられた。結果として「1:99」というスローガンのもと、「オキュパイ・ウォールストリート」という大規模デモが起きた。

 現在進行中である、「ブラック・ライブズ・マター」運動も同じだ。黒人差別という元々あった問題に加えて、コロナ禍によるロックダウンで職を失った人たち(マイノリティーの人々は、レストランなどホスピタリティー・サービス産業に就くことが多く、ロックダウンの影響を受けやすい)のフラストレーションが、一気に爆発した。富める者とそうでない者の格差は広がり続けている。

日本銀行前の常盤橋に建つ渋沢栄一像。
実業家で、生涯に500社近くの企業の創立・発展に貢献した。
(THE MAINICHI NEWSPAPERS/AFLO)

 渋沢栄一も、一部が富んでも「多数が貧困に陥るようでは、その幸福は継続されない」と指摘している。格差の元凶として、「新自由主義経済」が現在では批判されることが少なくない。ただ、20世紀の後半には「企業の社会的な責任は、ルールの範囲内で利益を最大化させる」考えに合理的な面もあった。それ以降、外部環境が変化し続けた。ローマクラブが「成長の限界」を説いたときには、どこか遠い話だったが、現在では、地球温暖化が肌感覚で感じられるようになっている。

 もう一つ、「トランジション(時代の変化)リスク」というものもある。例えば、インターネットが登場するまで、報道は一方的な流れで、フレーミングされた情報伝達しか手段がなかった。今や、誰もが双方向で情報を発信、収集することができる。もっと言えば、情報の発信のあり方が無秩序で、どこからどこへ伝わるのかが分からない。うっかりすると、前のビジネスの価値観や、環境で考えていたことがあっという間に通用しなくなるというリスクが出てきた。世界のビジネスリーダーたちが、株主価値の重視だけでは限界に近づいてきたということに気が付いてきたのも、この影響だろう。

 渋沢栄一が「道理」を説いているように、ルールの範囲内であっても、正しいか正しくないのか、自分で考えて答えを出すことが大事な時代に入っているといえる。ルールベースから、プリンシプルベースへの時代だ。


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