渋沢栄一が唱えた「合本主義(日本の資本主義の原点)」は、「株主資本主義」とは異なり、従業員とその家族、顧客まで含んだステークホルダーの価値の最大化を図るというものだ。SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)という「ステークホルダーキャピタリズム」が注目されるようになったが、100年前にすでに渋沢はその必要性を説いていた。
編集部(以下、──)大祖父・渋沢栄一との〝出会い〟とは?
渋澤 私は大学までアメリカで育ち、日本で外資系金融機関を経てヘッジファンドにも就職、資本市場の真ん中、〝算盤〟の世界にいたことになる。世界情勢が瞬時にして価格に反映される短期志向の中にいたが、だからといって、それが悪いことだとは思っていなかった。
転機が訪れたのは、2001年のことで、この年、独立して会社を立ち上げようと計画していた。長男が生まれた翌年でもあった。そんなとき「9・11」同時多発テロが起きた。その日、私はシアトルにいた。雨が多いことで知られている町だが、その日は快晴できれいな空が広がっていた。しかし、テロのせいで全ての飛行機はストップ。それこそ瞬時にして、人も物も動かないという状況に陥った。それまで、ファンドの仕事で端末一つで何十億円ものお金を動かしてきた私にとって、そのギャップの衝撃は大きかった。
渋沢栄一との邂逅はそんなときに訪れた。私は玄孫(やしゃご)にあたるが、親から「渋沢栄一の教えを守りなさい」などと言われたことは一度もない。ただ、叔父が「渋沢家の家訓は、株と政治はやってはいけない」と言っていたのを思い出して、父に「そんな話、本当にあったのか?」と、尋ねてみた。父も全ては見たことがないという『渋沢栄一伝記資料』から、調べてみてくれた。すると、やはりその家訓はあった。
「投機ノ業又ハ道徳上賤ムヘキ務ニ従事スヘカラス」
私は金融市場の仕事で道徳上問題があることをしたとは思っていなかったが、まさに「投機の業」であった。40歳になって、自分は渋沢家の家訓には反していた、私にとっては〝不都合な真実〟だった。
であれば、他に〝都合が良い事実〟がないかと思い立ち、渋沢栄一の言葉を拾っていくようになった。実際に本人が講演などで語った言葉ということもあって読んでみると、面白い。父も一緒になって面白がってくれるようになった。一つひとつの言葉は硬いが、エッセンスを今の言葉に書き出してみると、新しい発見がいくつもあった。子孫に財産を残さなかった人だと思っていたが、ここではじめて素晴らしい財産を残してくれていたことを知った。しかも、相続税はかからない(笑)。