2024年7月16日(火)

Wedge REPORT

2021年3月8日

阪神の教訓生かし
「隔世の感」も

 この時の反省から、政府はその後、災害対策基本法を改正。それに伴い、「防衛庁防災業務計画」も修正され、都道府県知事の要請を待たず、自衛隊が部隊を自主派遣できる基準を明確化した。さらに、災害派遣に従事する自衛隊員が救助活動を円滑に行えるよう、自衛隊法も改正された。

(出所)内閣府「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」を基にウェッジ作成
(注)1994年調査は「単一回答」、2018年は「複数回答可」にて実施 写真を拡大

 それらの法整備が進む一方で、阪神・淡路大震災における自衛隊の災害派遣は、国民から高く評価された。内閣府が72年から3年ごとに行っている「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」では、「自衛隊に期待する役割」などについての問いに、震災前の94年では「災害派遣」が23.8%だったが、97年からはそれまでトップだった「国の安全の確保」を上回り続けている。

 そして、阪神から16年後の2011年3月11日、東日本大震災が発生する。

 被害が甚大だった東北各県知事からの自衛隊への災害派遣要請は概ね発災から1時間以内に行われ、なかでも宮城は16分後、岩手に至ってはわずか6分後での要請という迅速さだった。

 実は宮城、岩手の両県と陸海空の自衛隊は、発災の3年前から大規模な津波災害を想定した訓練を実施し、その後も緊密な連携をとっていたという。

 「みちのくALERT(アラート)2008」と名付けられたこの訓練は、〈マグニチュード8.0の地震が宮城県沖で発生し、三陸沿岸に津波が襲来〉との想定で実施。両県と自衛隊だけでなく、三陸沿岸部の市町村、警察や消防、地元住民ら約1万8000人が参加するという大規模かつ実践的なものだった。

 この訓練が奏功し、発災から4分後には、陸上自衛隊東北方面総監部から連絡員が宮城県庁へ派遣され、自衛艦隊司令官から出動可能な全艦艇に出港命令が発出。19分後には、航空自衛隊の三沢、百里、小松の各基地からF-15J戦闘機が被災地に向かって離陸した。

 これら迅速な初動対応と、自治体、警察、消防との連携で自衛隊は1万9286人を救出。これは全生存救出者の約7割に相当し、前出の松島氏にとっては「まさに隔世の感」だったという。

 東日本大震災での自衛隊の活動については、他省庁もこう評価する。

 「省庁間の協議により、被災地において不足した警察車両の燃料について、自衛隊から補給を受けたほか、被災地における部隊間の協議により、自衛隊の重機の支援を受けて、警察部隊が捜索活動を行うなど、様々なレベルでの連携を実現した」(警察庁)

 「自衛隊には人命救助だけでなく、輸送機などによって消防車両や部隊を運ぶといった支援をしていただき、大変ありがたかった。東日本では自衛隊や警察といった各組織の特性について理解し、連携することが必要と改めて認識した」(泉口将人・総務省消防庁広域応援室広域応援調整係長)

 しかし、東日本大震災以降も、16年に熊本地震、17年に九州北部豪雨と、毎年のように大規模な災害が日本列島を襲い、自衛隊の災害派遣も増加の一途を辿っていった。特に18年には大阪北部地震(6月)、西日本豪雨(7月)、そして北海道胆振東部地震(10月)と相次ぎ、「西日本豪雨の後に北海道に派遣された部隊もあった」(陸自幹部)。

(出所)防衛白書などを基にウェッジ作成 写真を拡大

 その一方で、鳥インフルエンザや豚コレラでの殺処分、新型コロナウイルス感染症で逼迫した医療機関への看護官の派遣、さらには豪雪による立ち往生での出動など、自治体による自衛隊への派遣要請は今や、〝常態化〟している。が、防衛省幹部はこう懸念する。

 「国民に頼りにされているのはありがたいが、有事となれば、自衛隊は国土を守るために戦わなければならない。また首都直下や南海トラフ地震レベルの災害では、自衛隊自体の被災も免れず、とても東日本大震災で展開したような民生支援まで手が回らない」


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