2024年4月20日(土)

近現代史ブックレビュー

2021年7月16日

新たな事実を解明した労作

 ただし、疑問点も少なくはない。石川県出身の軍人として、同県出身ではない植田謙吉があがっている上、林銑十郎や阿部信行のような首相にまでなった同県出身の軍人の名前が出ていないのは、陸軍石川閥ということまで言われていたのだから解せない。

 また陸軍士官学校事件において問題となった佐藤は、父親が第一次世界大戦の戦死者であることが重要なのだが、本書では「日露戦争で戦死した」と書かれている。

 日米開戦前、辻は参謀本部作戦課兵站班長となり、開戦積極論でマレー半島作戦を練ったことが書かれているが、「南方作戦の見通しに関する参謀総長の奉答資料」の作成に関与し「人種問題を包蔵し、輿論尊重と婦人優先の米国としては、長期大持久戦には堪えられない」という意見を述べたこと(高山信武『参謀本部作戦課』)は触れられていない。言うまでもなく極めて重要な誤った判断であった。辻は陸大成績優等であったが、優等者にあった海外駐在「特権」を行使しておらず、やはりこのあたりに視野の狭さがあったのではないかと思わせられるのである。アメリカを見てその強大な国力を認識してきた武藤章陸軍省軍務局長が日米開戦に最後まで反対であったことがどうしても思い浮かばれる。

 シンガポール華僑虐殺事件やバターン死の行進など、辻の問題行動について触れられているが、いささかあいまいで、ノモンハン事件の際日本の軍人に自決を強要したと言われていることや、「人肉食」問題と言われることなどについては全く記述がない。

 また、戦後辻が政界に入ってから誰とどのような活動をしていたのかについての記述が少ない。辻は自民党で石橋湛山派にいたと言われており、そしてそれは石橋と辻の両方の理解にとって極めて重要なことなのだが、そのことの記述がないのである。

 さらに、辻の次男・毅氏が本書に登場してくるが、氏は辻の自筆の「手記」を所持していると言われており、その一部は活字になっているのだが、なぜかそれについての記述がない。この辺りは、著者が執筆に際して非常に多くを遺族・関係者に依存したこととも関係があるかもしれない。資料探索のためにそれは必要かもしれないのだが、あまりにも多くを研究者が遺族・関係者に依存するとほとんど批判的なことが書けなくなってしまい、客観的な研究がしにくくなるという問題が今日多く見られるのだが、その一例と言えるかもしれない。

 以上、最後に指摘したような望蜀の感があるとはいえ、最初に述べたように、多くの新しい事実を解明した労作であることは間違いなく、不正確なものが少なくない最近の昭和軍人伝の中、本書のような地道な探索を志向したものが現れたことは大変喜ばしいことである。本書を機にそうした堅実な方向の著作が増えることを期待したい。

 ※本稿脱稿後、長南政義「参謀辻政信の生涯」『歴史群像』2021、8月号に接した。非常によく調べられた優れた論稿であり、関東軍参謀時代に起案した満州国についての文書をめぐる今村均参謀副長との対立など初出のことも少なくない。また、辻の関わったノモンハン事件など作戦に関することの評価が極めて的確である。「人肉食」問題への評価も説得的で感心した。早く単行書となることを待ちたい。
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