スーツ業界を取材していると、メディア業界と類似点があることに気付く。インターネットが登場する前は、ニュース、天気予報が知りたければテレビ、ラジオ、新聞など限られたメディアから知るしかなかった。電車の時刻が知りたければ時刻表のページをめくった。それが今は全てネットアクセスすれば知ることができるようになった。テレビや新聞が独占できたのは、代替するものがなかったからだ。
スーツも同じだ。事務系の職場ではスーツ以外に代替して着るものがなかった。しかし、「クールビズ」などのカジュアル化によって、スーツ以外でもよいことになると、一気にスーツ離れが進んだ。それはスーツが多くの人にとって‶着なければならない〟ものであって、〝着たい〟ものではなかったからではないか――。
〝カリスマバイヤー〟
松屋銀座で長年スーツを担当してきた宮崎俊一さん。多くの上場企業社長のファッションアドバイザーを務め、業界では〝カリスマバイヤー〟と呼ばれる知る人ぞ知る存在だ。10年ほど前、松屋の中に「アトリエメイド」という自らが手掛けるブランドを立ち上げた。
「日本全国に残る希少価値のある〝ものづくり〟の技術を絶やしてはならない」という思いからだった。具体的にはどんな技術なのか。例えば、全ての工程を一人の職人が仕上げる「注文服」だ。量産をしようとすれば、工程ごとに分業をしたほうが効率は上がる。しかし、注文服ではあれば統一感のある一着に仕上げることができる。
一方で、注文服は手間はもちろん、コストも高くつき、結果的には「高級スーツ」となってしまう。いくら技術があっても、適正価格で日銭を稼ぐことができなければ事業としての持続性はない。宮崎さんは全国津々浦々の縫製工場を巡り歩き、「これはという、熱量のある人」がいれば、説得、議論して、自らも一日中ミシンの横に座り、どうすれば効率よく、安くできるか一緒になって考えたという。そのようにして集ったパートナーの技術が結集して、分業でありながら手作業工程を多く取り入れて仕上げるのが「アトリエメイド」のスーツだ。
そう聞くと値段が高そうに思えるが、スーツのクオリティからすると割安だ。宮崎さんは「スーツの価格は年収の1%が目安」だという。年収1000万円の人であれば10万円だ。それが英国、イタリアの生地で「日本製」となれば決して高いと言えないはずだ。さらに、ここに加わるのは宮崎さんとの対話だ。顧客の一人は「アトリエメイドでのスーツ代の半分は宮崎さんの話に払っていると言っても過言ではありません」と話す。