2024年7月16日(火)

あの挫折の先に

2012年11月29日

アメリカ留学時代、小さなきっかけで
“やりたいこと”が見えた

ドイツからビール職人を招聘し、伝統的な製法を守り醸造された湘南ビール。期間限定品を含めると8~10もの種類がある。折からの地ビールブームで、ビールの拡張路線という選択肢もあったが、「湘南でうまい酒をつくる」という初志を貫徹することで、地ビールブームが終った時に大きな痛手を追わずに済んだ。

 熊澤は1969年生まれ。大学を卒業した91年はバブル景気のまっただ中で、就職活動でも、いわゆる“一流企業”から内定をもらっていた。

 「当時は金融、証券、商社などで働くのがカッコいいと言われていた時代でした。一方、地元に帰って家業を継ぐなどダサい、という雰囲気がありましたね」

 偏差値が高い大学を出て、東京でカッコいい仕事に就く──熊澤はまさにそんな人生を歩もうとしていたのだ。ところが、彼は「心の奥で冷めていた」と話す。

 

 「それがやりたいことか? と問われると、そうじゃなかったんです。じゃあ何がやりたいかと言われても、そんなものはなかったのですが……。一方で、就職を決めた企業は海外旅行のチケットなどを渡そうとしたり、“何かほしいものはある?”と言ってくる時代でした。何となく、他人に人生のレールを敷かれ、その上をただ走っているようで、ますます冷めていきましたね」

熊澤酒造が醸す日本酒の代表が天青。造り始めた当初は、既存の流通に頼らずゼロから開拓したため取扱店が少なかったが、現在では神奈川県の銘酒としての地位を確立している。

 彼はせっかくの学歴と就職先を捨て、渡米し、MBAを取得することにした。しかしそれも本当にしたかったことではない。そして、バブルが崩壊。祖父と叔父が経営していた造り酒屋も、父が経営していた会社も経営状態が悪化したが、そのどちらも継ぐ気はなかった。

 だが、何が幸いするかわからない。熊澤はこの頃たまたま、米国で日本酒を販売して成功していた人物と出会い、人生が変わった。

 「その人に“造り酒屋は長期衰退産業。将来性はない”と否定され、急に“そんなことはないでしょ”という思いがこみ上げてきたんですよ。自分なら、日本酒の業界で新しい何かが作れるんじゃないか? むしろ、それなら実家を継いでみたい、と思った。この心の動きには、自分自身がビックリしましたね。蔵元の血とでも言いますか、それが自分に流れていることを感じたんです」
 

 

POINT
「その志望動機は本物か」。筆者がよく、学生向けの就職活動講座で話すことだ。例えば筆者は、ファッションの高級ブランド品に興味が持てない。すばらしいものなのだろうが、筆者個人は、身に付けたいと思わない。そんな私がもし、就職先に困り、たまたま高級ブランドショップの店員になったとしよう。お客様に「この商品はどこがよいの?」と訊かれても「さあ?」くらいしか言えないダメな店員になっていたはずだ。銀行も無理だ。筆者はお金に関し細かくなく、飲み会の幹事をしても会計が合わないからだ。しかし同じ私が、ジャーナリスト、もしくは就職講座の講師といった“人生を考える仕事”に就けば……少なくとも書籍を出し、雑誌から連載を依頼される程度には社会に貢献できている。
人は、本当にやりたいことでしか、自分の実力を発揮できない。熊澤はアメリカ留学だったが、例えばいったん就職し、夢中で働きながら何がしたいかを見極めるなど、本当の志望動機を探す旅はムダではない。


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