2024年4月27日(土)

あの挫折の先に

2012年11月29日

一度、意識を10年後くらいに
タイムスリップさせる

 このあと、1996年に熊澤は地ビールブランド『湘南ビール』を立ち上げる。当時は地ビールが法的に解禁されたばかりで、96年には65醸造所、97年には117醸造所と、着実に市場が拡大していたからだ。ただし彼は安易にブームに乗ったわけではなく、それがのちに、彼の会社を救うことにもなる。

レストランでは地元で採れた食材を使用。市内にわずかしか残っていない養豚場の豚肉を使用するなど、地元の活性化にも一役買っている。

 「当時はブームに沸いていて、弊社にも大手のメーカーの方がいらっしゃいました。話を聞くと、まるでフランチャイズのコンビニに加盟する時のように、何もかもがパッケージ化されていました。大手メーカーと契約を結ぶと、醸造の専門家が派遣されてきて、素材はこれ、味はこれ、と簡単に決めるだけで商品ができあがるんです」

 熊澤は、これを頼らず、どうせ造るなら本格的なものを……とドイツに渡り、現地で醸造家の資格を取った人物を招き、自社ブランドを策定した。当時は観光のついでに地ビールを買って帰る人が多く、商品は飛ぶように売れた。この時、さらなる誘惑もあった。

 「コンサルの方に“日本酒は辞めるべきだ”と言われました。ビールで黒字を出しても、まだ発展途上にあった日本酒の部門が大赤字を出していたのです」

湘南で採れた新鮮な魚介類ももちろん堪能できる。

 従業員も、例えば地ビールの展開に期待して入社した人や、新規店舗の店長になりたくて入社した人は辞めていった。それでも彼が「日本酒を造りたい」とこだわったのはなぜか?

 「自分が描く成功像は、湘南地区においしいお酒があることを発信し、地元の人に喜ばれることだったのです。逆に“こうしたい”という思いがないと、条件がいいところに動いていくばかりになってしまいますよね」

 そして、99年頃、地ビールブームはぱたっとやんだ。地ビール全体に“どこで飲んでも味が大体同じ”という評価ができあがってしまい、市場は大手メーカーが出す発泡酒に移行していったのだ。過剰な投資をした酒蔵の中には、苦境に陥るところもあった。だが、熊澤酒造はむしろ地ビールで資金を得て、以前より経営体力が強化されていた。

POINT
動機には“外発的動機”と“内発的動機”がある。外発的動機とは、例えば地位やお金などのインセンティブや、逆にノルマに追われる恐怖感など、他者によって与えられたもの。一方、内発的動機とは、例えば「こう生きたい」「これを実現したい」といった自分の中から湧いてくる動機だ。そして、一般的に言われていることだが、外発的動機は長続きしない。同時に、お金や地位など、外発的動機によって動く人は、周囲の支持を得にくい。目の前にぶら下げられたニンジンに食いつかず、自分が走る方向を定めた。それもまた、熊澤が内発的動機によって動いていたからだろう。


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