途中で視力を失った学生の前例がない
春休みだったことが幸いして、入院中、福岡から予備校時代の友人が上京し、大学の手続きや音声携帯の契約、市役所の手続きなど、不慣れなことも初瀬の目となり何から何まで1カ月間つきっきりでサポートしてくれた。退院の日、「ピシッとした服で表に出よう」と洋服まで揃えてくれた心遣いが嬉しかった。この期間、介助の仕方がわからず、どこへ行くにも2人で手を繋ぎながら歩いた。
東京と長崎、遠く離れた母親も心配だったはずだ。初瀬はそんな母に「必ず大学は卒業するから」と約束をした。生活に慣れるまでは休学するという選択肢もあったが、同級生たちが在学しているうちに復学したほうがいいと判断した。
先天性であれば点字受験で入学し、点字サークルに教科書やノートのサポートをしてもらうなど学べる方法があったが、視力を失ったばかりの初瀬には点字が読めなかった。
大学サイドは「途中で視力を失った学生は初めてで、他の大学に問い合わせても前例がない」と戸惑ったものの、「前例がないなら、この大学で良い事例を作ろうじゃないか」と前向きな回答をくれた。しかし、その準備のために2カ月間くらいは大学を休むようにと言われた。
その間、恐怖のあまり家から外に出られなかった。周りに知り合いもなく、とても1人で歩けるような状態ではなかったからである。
復学した初瀬を支えたのは、またしても予備校時代の仲間で同じ中央大学法学部に通う友人だった。特別に期の途中で履修を変更してまで一日中初瀬に付き添ってくれたのである。
「大学側の窓口になっていただいた方が、各先生に試験は口頭でやってくれとか、試験ではなくレポートに替えてくれないかなど、いろいろな配慮をして下さったのです。試験によっては別室を取ってくれて、友人に問題を読み上げてもらって、僕がそれに答えて、友人がその答えを記入するなんてこともありました。大学が様々な配慮をして下さったり、友人たちのサポートによってやっと卒業することができたのですが、きっと、その間にたくさんの友人を失っているはずなんです……」
なぜ友を失ったのか……
「当時は友人の一言ひとことが胸に突き刺さりました。たとえば映画の話題になったりすると「こいつ俺は映画に行けないのに、なんで映画の話をするんだ」と。飲み会のあとにカラオケに行こうと誘われたりすることもありました。でも行けませんよ、僕は。だから言葉が突き刺さるんです。それを口にすることはないんですが、その場からフェードアウトしていきました。その頃はとても暗かったんです。