2024年7月16日(火)

田部康喜のTV読本

2021年8月14日

 西山地区に対する、アメリカの調査機関の視線はそらされることはなかった。米放射線観測機器メーカーと軍による秘密組織は、同地区の土壌を本国に持ち帰って、原爆投下後、5年目に残留放射線の物資つまり「核種」を特定した。

 その種類は、放射性ルテニウムとセリウムの2種類だった。放射線に詳しい、広島大学名誉教授の星正治さんは「このような測定ができるということは、ものすごい量の放射能が存在したということです」。同大名誉教授の大瀧慈さんは「核種によって、人体のどの部分にたまるかはわかっている。この核種が公表されていれば、被爆者の命を救う可能性があった」と指摘する。

米ソと米中の冷戦の中で続く「隠蔽」 

 日本が戦後独立後も、アメリカによる、西山地区の研究は続けられた。住民にはその意図は一切知らされずに。

 旧ソ連による報告書もまた、「残留放射線はなかった」というものだった。スターリン研究の第一人者である、歴史家のニキータ・ペトロフさんは「(原爆開発前の)当時スターリンは、米国に対抗して、政治方針に原爆はおそれていないとしていた。報告書は、読む者の政治方針に沿って書かれた」と語る。

 グローブスの一連の「隠蔽」の原因として、世界の世論が原爆投下に対して批判を強めていことと、旧ソ連との冷戦である。

 トランプ政権の元・国防次官補代理のエルブリッジ・コルビーさんは、米中新冷戦のなかで、小型核の装備を進めなければならないという。取材チームが、「残留放射線」の可能性はないのか、と尋ねると「爆発は上空の高いところで起きるので、その恐れはない」という答えが返ってきた。

 最初の「隠蔽」をした、グローブス少将と同じ発言である。

 どれほどの範囲で残留放射線が人々を襲ったのか、そしてどれほどの命が失われたのか。国際政治の水面下の激烈な争いのなかで、被爆者の存在は顧みられることはなかった。

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