2024年11月24日(日)

田部康喜のTV読本

2021年8月14日

 広島に原爆が投下されたときの住民だったにもかかわらず、政府の定めた被災地域外とされ、医療費の給付が受けられる「被爆者健康手帳」などを受けられなかったという原告の主張に対して、広島高等裁判所は7月中旬、被告である政府の全面敗訴の判決を下した。

 井伏鱒二が広島原爆を題材にした『黒い雨』がある。原爆が爆発した直後に降った、黒い雨の地域がある意味で拡大したことを訴訟は意味する。

 NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」(8月9日)は、黒い雨を浴びたり、原爆投下後の広島と長崎で救援作業に携わったりして、ガンや白血病になった可能性が高い「残留放射線」問題に、真正面から取り組んだ見事な最高傑作である。

(KREMLL/gettyimages)

投下直後から明らかだった「残留放射能」

 取材陣は、日米そしてかつてのソ連が原爆投下直後に行った初動調査における「残留放射線」についての、新たな資料、証言、映像資料を掘り起こした。

 番組は、アメリカが原爆を開発した「マンハッタン計画」の調査団と、海軍と陸軍が、終戦直後に広島と長崎に現地入りして、調査報告書を作成した状況を詳らかにしている。旧ソ連も、スターリンの命を受けて、調査団を送っていた。

 アメリカの当初の調査報告書は、「残留放射能」が住民の健康被害に与える可能性を報告していた。しかし、その事実は「隠蔽」された。

 アメリカの「隠蔽」の張本人は、「マンハッタン計画」を指揮した経験があり、かつ広島、長崎の調査統括になった、グローブス少将である。

 1945年11月28日、米原子力委員会において、グローブス少将は次のような質疑応答をしている。

――「残留放射線」を調査した記録はありますか?

グローブス はい、あります。残留放射線は皆無です。原爆が上空の高いとことで爆発したために影響はなかった。

 グローブスが握りつぶした、当初の「原爆調査報告書」を中心とする膨大な資料を、取材陣は手に入れる。調査の中心の舞台は、長崎の原発投下地点から3キロほどのところに位置する「西山地区」である。

 「この地に残る放射性物資に人が晒され続けると危険を伴う可能性がある。動物の場合、全身に被ばくした後に白血病に進行する可能性がある。人間がどうなるか特に興味がある」

 米海軍の調査報告書をまとめたのは、ネロ・ペース少佐。彼の証言テープが残っていた。「私たちは、4カ月の間に、長崎で残留放射線の測定をした。人々から血液も採取した。広島でも同様のことをした」。ここにも、長崎の西山地区の記述がある。

 「西山地区は山の陰にあり、初期放射線をうけなかったにもかかわらず、爆心地よりも高い放射線が認められた」。1080マイクロレントゲンパーアワーであり、人間の最大許容量に近かった。現在の比較単位でいえば、1時間あたりおよそ11ミリシーベルトであり、これは一般人4日で超えて浴びているのである。「西山地区では、爆発直後に雲が上空を通過し、雨が降った。谷間になっている西山地区に放射性物質が堆積した」と。

 帰国後に報告書を仕上げた、ペース少佐を待っていたのは、グローブス少将だった。グローブスは「これに関係する文書やデータはすべて廃棄し、忘れろ」と。


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