衆議院選挙が終わり、政府は総額55.7兆円規模の経済対策を打ち出した。その中には18歳以下への一律10万円の給付金や賃上げした企業への税制支援、事業者への実質無利子・無担保融資の延長などが含まれる。しかし、このままで大丈夫なのだろうか。矢野康治財務省事務次官は『文藝春秋』2021年11月号で、わが国の財政について「タイタニック号が氷山に向かって突進している」状態と評し、「このままでは国家財政は破綻する」と警鐘を鳴らした。
実際、深刻な財政悪化がある。国・地方を合わせた一般政府の債務は対国内総生産(GDP)比で250%超と先進国の中でも最悪の水準だ。仮にコロナ禍から脱却しても先行きは芳しくない。社会の高齢化に伴い年金・医療など社会保障給付費は現在の120兆円余りから40年度には約190兆円まで増えるとの試算もある。この社会保障を経済・財政は支えきれないだろう。
他方、日本経済を実力ベースでみた潜在的成長率は1%ほどに留まる。政府は「成長実現ケース」として名目3%、(物価の変動を除いた)実質2%の成長を見込むが、楽観が過ぎよう。
では本当に国は破綻するのだろうか。無論、国は民間企業のように清算されて消滅することはない。ここでいう「破綻」とは政府が資金のやり繰りに窮する、つまり、国債の借り換えや新規発行ができなくなることを指す。あるいは市場で国債を消化するにも市場(投資家など)から高い金利を要求され、利払い費が急増する。いずれにせよ政府は社会保障や教育、防衛、公共事業を含む通常の行政サービスを提供する資金に不足する。その結果、政府は厳しい歳出の削減、もしくは増税を迫られることになる。10年前に起きた欧州の財政危機ではギリシャなどがこうした状況に陥った。
「財政は大丈夫」は
「経済が大丈夫」を意味しない
とはいえ、政治家や国民の間での危機感は乏しい。なぜか。その背景には国債残高の増加にもかかわらず、国債金利が極めて低い水準で推移してきたことがある。また、デフレ経済の下で国内の投資・消費が低迷した結果、企業や家計の貯蓄が積み重なり、いわゆる「カネ余り」が生じてきたこともその一因だ。わが国の金融資産は約2000兆円、うち現預金は1000兆円に上る。それらの金融資産が国債を吸収する余地を与えてきた。
もう一つが日本銀行による「異次元の金融緩和」だ。日銀が「年間80兆円」を目標に市中から多額の国債を買い続けてきた。日銀が買い手であることが明らかな限り、市中の投資家は安心して国債を購入できる。ここで投資家が信認しているのは国・財政ではなく日銀の金融緩和ともいえる。諸外国では国の財政赤字への警鐘は金利の上昇という形で市場(投資家など)から発せられてきた。しかし、わが国では投資家などは日銀が国債を買い支えることを当てにして目先の利ザヤを稼ぐことに終始しているようだ。
もっとも、デフレ下のカネ余りと金融緩和は「危うい均衡」だ。仮に今後、経済が上向いて(脱デフレして)民間のカネが消費や設備投資に回れば余剰資金は目減りする。金融緩和もいずれ出口を迎えるだろう。このとき、20年度は借り換えを含めて200兆円に上った国債発行の安定消化は困難になるだろう。
将来にはもう一つのシナリオがあり得る。経済の停滞が「ニューノーマル」として継続、デフレやカネ余りが解消されないことだ。赤字のままでも財政は持続するかもしれない。家計や企業の膨大な現預金も財政赤字に充てられ成長分野に回らないという意味で「死に金」に等しい。賃金は低迷、格差も拡大するだろう。「財政は大丈夫」というのは「経済が大丈夫」なことを意味しない。