2024年4月21日(日)

田部康喜のTV読本

2021年12月25日

 伸一さんは、髪も髭も伸ばし放題の姿で、市の担当者の前に現れた。その言葉はしっかりとした信条を感じさせる。

 「いままで食パンだけを食べてきたので、(いただいた食品は)ぜいたくに思える。もうちょっと(自分で)頑張ってみる」「自分でやってみたい。もう少し時間をください」「父から、経済が安定しないと病気になる、といわれていた。なるべく健康を回復して、職につきたい」

生活はどのように変わってしまったのか

 伸一さんの暮らしに影がさしてくるのは、大学受験のころだった。英語を生かした職業に就きたいという希望があった彼は、英文科を受ける。しかし、不合格。2浪もしたが、願いはかなわなかった。

 そんな伸一さんに、父・吉之さんは就職を勧める。病院の事務職に就くが、緊急外来の担当で、残業が続いて、精神を病む。勤務は10カ月足らずで退職し、伸一さんがそれから、就職することはなかった。

 そのころ、母親の貞さんに異変が起きる。妄想を口走るようになる。伸一さんは、父に代わって母の世話をするようになる。伸一さんは20歳代だったが、いまでいう「ヤングケアラー」の立場になったのである。いつしか、伸一さんは昼夜逆転の生活を送るようになる。食事や身なりもままならない。

 ドキュメンタリーのタイトルの「空蝉の家」は、父・吉之さんの日記の言葉からきている。

 「(伸一は)何を考えているやら。廃人、そのようにしか見えない」「伸一は相変わらず〝空蝉〟のごとし」

 2007年、吉之さんは肺がんとなって、全身に転移していた。それでも、伸一さんの誕生日を祝おうとしていた。このとき、伸一さん45歳。「2007年2月27日 寿司4人分を買うも伸一食べない」と、日記にある。

生きようとしていた証も

 ロシアの文豪・トルストイがいうがごとく「幸せな家族は一様だが、不幸な家族はそれぞれである」。ひきこもりの家族のありようもまた、それぞれだろう。

 このドキュメンタリーが、激しく心を揺さぶるのは、ひきこもりの人が最後まで生きようとしていた、「生」への執着を失っていなかったことである。

 伸一さんは、「ゴミ屋敷」と化した自宅の床で、ゴミにうずもれるようにした状態で発見された。そのわきに、NHKの英語のテキスト、しかも死の前年の「2017年」と記されていた。最後まで、英語を使った仕事に就く夢を捨てなかったのだろうか。

   
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