一方で、国土交通省にコンパクトシティ形成支援チームが設置されているように、日本政府として都市機能の集約を目指している一面がある。都市機能が集約されている、という面をみれば、東京23区は日本で最も多様な機能が集約された究極のコンパクトシティと見做すこともできる。しかし、23区がそのように見られることはほぼない。そこにどのような違いがあるのであろうか。
立場違えば意見違えど、政府は全体を見るべき
もちろん、こうした是非を論じる場合、立場が異なれば意見が異なるということは自然である。一極集中により人口が減った地域の人は一極集中に対して否定的になるであろうし、増えた地域の人は肯定的でもおかしくない。
そのため、人口流出に直面する都道府県の自治体の立場でみれば、都道府県内の一極集中は特に問題視するほどのものでもないが、広域地域、および日本全体の一極集中は是正してほしいと考えるであろう。その意見は、人口が流入している都道府県の自治体の意見とは異なって当然である。
それに対して、日本政府は特定の地域や都道府県に肩入れすべきではない。各地域、各都道府県、各市町村の様子をまんべんなく勘案し、日本全体の社会厚生に目配りすべきである。
便益があるから人は移住する
では、こうした日本全体の視点から考えた時、一極集中はどのような条件下であれば黙認でき、また、問題視すべきであろうか。
日本では人々が地域や都道府県、市区町村の境界を越えて移動することは法律で禁じられておらず、引っ越しなどの費用を負担してでも移動したいと思えば移動できる。こうした移動は、基本的には、移動しないよりした方が自分にとっては良い、という人々の意思決定の結果である。
人々の置かれている状況をすべからく政府が把握でき、それを迅速に政策に直結できているのでなければ、政府が人々の移動に介入するより、自由に移動してもらった方が移動の便益を実現できる。それを無視して介入すれば、人々の意思決定を不必要にゆがめ、損失を生む可能性がある。
例えば日本政府が東京から他の都道府県に移住した人に対して生活のための補助金(家賃助成など)を出せば、人々に移住を推奨することになる。補助金額が増えれば、移動により損失を被る人まで移動しかねず、不必要な移動を誘発してしまうかもしれない。
もちろん、各自治体が独自に補助金を設定する場合は状況が異なるが、地方交付税などにより支出に必要な額が国から補填されるのであれば結論は同様になる。
混雑による不便さが過度にあれば、移動へ介入すべき
では、常に移動への介入は否定されるべきかというと、そうではない。人口集中は、移動する人が意識しない副作用のような効果があることが知られている。例えば、同じ場所にいることで情報が共有されたり、新しい知識が普及したりする効果など、人が集まることでそれぞれの人の意図しない便益が生じる。こうした意図しない便益を「外部経済」とよぶが、こうした外部経済は大都市の形成に大きな役割を果たす。
一方で、混雑する電車に乗ると、乗った人がさらに混雑を悪化させるが、その人は混雑悪化の他の人への効果は意識しないことが多い。これは人口集中の意図しない損失であり、「外部不経済」と呼ばれる。こうした意図しない効果があると、移動への介入が正当化されることがある。