2022年10月7日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年3月6日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 おそらく習国家主席はウクライナで身動きの取れないプーチン大統領の今後、米国における台湾支援の動向を両睨みしながら、政権3期目への布石を打ち続けるに違いない。その先には「毛沢東の遺志」である「台湾統一」があることはもちろんだが。

「好悪の感情」での判断は避けるべき

 ウクライナ危機をきっかけにわが国でも台湾危機・尖閣危機が叫ばれ、憲法改正・戦力増強、はては核共有問題までが論議されるようになった。論議そのものはタブー視せず冷静に進められるべきことはもちろんだが、だからといって憲法改正にしても即時可能と言うわけではない。長い時間と営々たる努力が大前提となる。

 ならば、早急に着手すべきは現有態勢でどこまでが可能で、なにが必要なのかを冷静に腑分けすることだろう。避けるべきは「好悪の感情」に左右された勇ましい議論であり、求めるべきは日本の国力を客観視した冷徹な分析だろう。

 米国初代大統領のジョージ・ワシントンが政権を去るに当たって発表した『訣別の辞』には、国策遂行に当たって米国大統領が心すべき心得が記されている。

 「国家政策を実施するにあたってもっとも大切なことは、ある特定の国々に対して永久的な根深い反感をいだき、他の国々に対しては熱烈な愛着を感ずるようなことが、あってはならないということである。〔中略〕他国に対して、常習的に好悪の感情をいだく国は、多少なりとも、すでにその相手国の奴隷となっているのである。これは、その国が他国に対していだく好悪の感情のとりこになることであって、この好悪の感情は、好悪二つのうち、そのいずれもが自国の義務と利益を見失わせるにじゅうぶんであり、〔中略〕好意をいだく国に対して同情を持つことによって、実際には、自国とその相手国との間には、なんらの共通利害が存在しないのに、あたかも存在するかのように考えがちになる。一方、他の国に対しては憎悪の感情を深め、そこにはじゅうぶんな動機も正当性もないのに、自国をかりたて、常日ごろから敬意をいだいている国との闘争にさそいこむことになる……〔以下略〕」(『第二次大戦に勝者なし』A・C・ウェデマイヤー 講談社学術文庫、1997年)

「歴史の終わり」は起きていない

 1989年末のベルリンの壁崩壊と共に「歴史の終わり」――強権国家は滅び、民主国家が生き残り永続する――が説かれ、そうなるものと世界は素直に信じてしまった。いや信じたかったと言うべきか。

 だが、あれから30数年が過ぎた現在の世界が目にした現実は、どうもそうでもないようだ。依然として3大国による角逐が続く。この間、米国の国力の相対的低下と中国の影響力の飛躍的拡大という変化があったにしても、である。

 ウクライナ危機で浮かび上がったのはプーチン大統領の野望ではなく「偉大なる祖国ロシア」への翹望(ぎょうぼう)であり、同時に「台湾統一」が習国家主席が抱く「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」にとって欠くことの出来ない要素だということだ。

 であるとするなら、どうやら「歴史の終わり」は幻想でしかなく、じつは世界はいまなおスターリンと毛沢東の亡霊に悩まされている。「スターリン」、あるいは「毛沢東」という「歴史」はまだ終わってはいないのである。

  
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